まず、駒ヶ根から伊那大島までの電車、伊那大島から鳥谷までのバスで一緒になった群馬県渋川からの50代半ばのオバサン。朝の5時半頃、駒ヶ根の駅の券売機に“7時までは機械は使えません。切符は車内で勝ってください。”って張り紙してあるのに一所懸命に切符を買おうとしていたから“切符はここじゃぁ買えませんよ。”って教えてあげた。
一緒に来る筈だった友達が急遽来れなくなり、迷ったが一人で来てしまったのだと不安そうに話していた。渋川から駒ヶ根まで一人で車を運転してきたが、今日から山に入って明日には甲府側に下りて、また車を取りに戻ってくるそうな。手間のかかることを・・・。塩見の登山口で先に山に入る時に出発の挨拶をしてそのまま会うことはなかったが、三伏峠の小屋に泊まろうとしていたらしい。或いはそのまま戻ったか?
横山さん。山口県岩国から来ていた。伊那大島からのバスで一緒に。前夜は伊那大島の民宿に泊まった。67,8歳のようだが、65歳まで働いていて定年になって岩国に戻ってきた。それまでは2~3日の山行しか出来なかったが今は好きなだけ登っている。行きやすいのは九州や中四国だが大きな山がないからアルプスや東日本まで足を延ばす。北海道や東北に行く時は車だそうだ。舞鶴まで運転して小樽までフェリーとか。
今回は塩見から仙丈まで抜けるようだが、背負っている荷が大きい。20kgくらいとのこと。聞くと、週に5回ほど30kgの荷物を背負って家の周りを1時間ほど散歩してトレーニングをしているそうだ。立派。真面目で朴訥、不器用だが良い人。山も詳しくはないようで、間ノ岳を一生懸命“まのだけ、まのだけ”と言っていた。この人だけ名前が判るのは、塩見小屋で夕飯の順番になって呼ばれていたから。
歩いている時にも途中で何度か一緒になった。最後に話をしたのは北荒川岳あたりで。その後、熊ノ平で水を汲みに小屋のテラスの下を通ったときに話し声が聞こえた。無事に仙丈まで行けたろうか・・・。
塩見の頂上で写真を取り合った夫婦。塩見小屋にいた。頂上の少し前で後から登ってくるのに気がついたが、西峰で写真を撮っていたら追いついてきて、“写真を撮りっこしよう!”と。続けて東峰へ一緒に行き写真を撮りっこしたのが楽しかった。オジサンが“オバサンに山の名前を教えている格好をしろ”とか“山を見渡している背中を撮ってやる”とか、ヤラセ写真を撮りたがる。それが可笑しくて可笑しくて、ゲラゲラ笑いながら言うとおりにしていた。非常に楽しい夫婦だった。
北俣岳分岐であったオジサン。塩見から下りて一休みしていたら蝙蝠岳の方からやってきた。
塩見岳には35年前の3月、山岳会に入って間もないときに来て遭難したそうだ。オジサン曰く“俺がビビッちまってさ。”と。大きな事故ではなかったようで一人が軽い怪我をして挫折。今回はそのリベンジだそうだ。前夜は雷ガラガラ大雨ドシャドシャの中、蝙蝠岳でビバーク。テントのポールを伸ばす時に“避雷針を立てているようで怖かった”と。そりゃそうだろう。
この人、北俣分岐に荷物を置いて塩見に上がっていったが熊ノ平で隣に幕営。翌日は間ノ岳の手前の三峰岳でまた会ったが、その後は北岳方面には行かずに仙丈岳の方へ歩いて行った。もう会わないと思ったら帰りに広河原からのバスに乗ってきた。聞くと前日は両股小屋に泊まり、この日は広河原と北沢峠の間の野呂川出合に下山して、広河原までバスで戻ってきたと。
この人のルート、かなりマニアックだなと思ってバスの中で話をしていたら、やはり昔はかなり登っていたそうだ。間が空いて最近また登り始めたそうだが、自費出版で山の想いを綴った本も出したそうで、かなりの山人だった。甲府で別れた。
自費出版の本のタイトルを教えてもらって、帰ってからアマゾンで買ってみた。このオジサン、細田さんという人だった。
他にも、間ノ岳と北岳の頂上で写真を撮ってもらった大阪から来た若い夫婦、こいつらはさすが関西人、2人でひたすらアホなことを喋っていて見ているだけで面白かった。
あと塩見小屋直前で追いついてきた若い2人組みの青年。ワンゲルでの仲間だったそうだが今は就職して一人は茨城、一人は長野。足が速かった。
など、今回は色々な人と会った。南アルプスは北に比べて本気で登っている人たちが多く、こちらも一人だと話しをすることが多かった。
やはり山はいいもんだ。
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