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自分の身の丈は超えようとせず、身の丈までは常に精一杯。 自分が自分の行動記録的な日記として残しているブログ。 失礼恐縮&無礼勘弁。

自分の日記

   

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南インド紀行(’98.8.22~29)その1

8月22日(Sat.)
08:40 成田空港にて
いよいよ出発。今朝は5時に起きて、池袋始発6時の“成田エクスプレス1号”に乗り、7時半に成田空港に着いた。そのままCX(キャセイ・パシフィック)のカウンターでチェックイン。まだ混んでいなくて、すぐに済む。ここのカウンターのお姉さん、見た目がアジア人で、英語で不機嫌そうにいろいろ聞いてくるので、てっきり香港人と思っていたけど、最後に名札を見たら日本人だった。何なんでしょ。
荷物も預けてしまい、空港内の“Coffee Shop Royal”で朝食をとる。“モーニング・カレー”とコーヒーで、\1,575-。う~ん、高い。しかし、そう感じる自分が“旅モード”に入っていると思うと、安心する。
 
17:45 バンコク空港  (at Bangkok, -2 hrs from Japan)
 香港でCX509からCX751に乗り換えた。今バンコクの空港で機内清掃中。もうそろそろ出る時間だが、まだかかりそう。香港でも機内に入ってから30分くらい待たされたから、そのまま遅れている。
最初に成田を出てからもう10時間近く経っている。香港での乗り換えで少し外にいたとは言え、もう疲れた。まだこれから4時間かかる。飛行機は飽きる。機内食も、日本に近いところは日本人向けの味付けになっていて、マズイとは思わないがつまらん。
香港は雨だった。中国も南部は雨期か。先月オープンしたばかりという新しい空港は流石に大きかった。乗り換えも比較的判り易かったと思う。可笑しいのは、各搭乗ゲートの行き先表示盤に出るのが、英語と中国語。ムンバイが孟買、ドバイが…何だっけ?
この飛行機、ここバンコクを出たあとムンバイ(旧ボンベイ)ヘ向かうが、それが終点ではなくドバイまで行く。この辺りでは、乗客もインド系75%、アラブ系20%、残りの5%がアジア、欧米系という感じ。
機内アナウンスの棒読み英語はほとんど判らない。言語明瞭ではない。機内ビデオの“タイの観光特集”はかなり聴けたが。
やっと動き出した。10分~15分の遅れか。
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19:50 機内      (India, -3.5hrs from Japan)
もうすぐムンバイ。あと20~30分か。今日はホテルに着いたらすぐ寝るつもりだ。明朝はゆっくり出来るので、よく休養を取って以後に備えよう。帰りの飛行機のリコンファームだけはしておかないと。それと明日Trv.(トリヴァンドラム)に行く飛行機の出発時間が10:40から12:15に変更されたようなので、念の為朝一番にその確認もしないと。
 
結局、飛行機はムンバイのサハール国際空港に20:05頃と、予定より若干早く着いた。Immigrationとかで止められるなくこともなく、順番に流れて20:50頃外に出てきた。空港内のThomas Cookで両替する。$50-が2,090Rs。1Reが\3.47-位か。2年前は3円位だったと思うが、間接的にせよ、インド・ルピーに対しても円が弱くなっている。日本は核も持っていないし。インドと戦争したら負けるだろうな。
空港から、Juhu Beach(ジュフ・ビーチ)にあるこのホテルまではプリペイド・タクシーを頼んだ。Non A/C(エアコンなし)で130Rsだが、前に並んでいたCXのスチュワーデスのお姉さんが“この時期はA/C(エアコン付)よね~。”というので、贅沢と思ったが、試しにA/C Car 160Rsに乗ってみた。確かに快適。着いてすぐの時は、体がまだインドに慣れていないから、こんな贅沢も保険と思えばいいだろう。
空港からここまでは30分くらいだったが、その短い間に感じたのは、“インドは以前よりマシになった”ということ。車の中のエアコンのかけかたが以前のような“常に最強モード”ではなく常識的になったし、例のごとく途中で助手席に乗ってきて途中で降りた男も礼儀正しかった(よくある。慣れないと驚く。慣れても当然警戒はする。今回のようにキチンと挨拶するのは珍しい。ヒドイのは、本来の客であるこちらを全く無視して乗ってきて挨拶もしないし、友達である運転手と大声で話をして、挙句の果てに、そいつのために遠回りしようとすることもある。)し、走っているときにも、他の車も含めてクラクションの鳴らしかたが穏やかになっているようだし、走っている車は多いけれど皆マトモな運転をしているし。まあ、この辺は高級住宅地のようだから、そのせいもあると思うが。
 
22:55 “Ramada Hotel Palm Grove”の部屋の中
今一息ついて、Murg Chaat(ムルグ・チャート80Rs.)とBeer(100Rs.くらい)をルームサービスで注文した。やはり夜着いた時に泊まるところが確保されているというのは良いねェ。こりゃ楽だ。
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シャワーを浴びて着ていたものを洗濯する。出来るときにしておかないと。今ルームサービスが来た。Murg Chaatは、茹でて細くほぐした鳥肉にピーマン、玉ねぎ、トマト、それにコリアンダーの葉を細かく切って混ぜ、サッパリ味に和えたもの。コリアンダーの香りが強く、少しタイ風でうまい。フォークが無いが、またルームサービスを呼ぶのも面倒で、緊急用にと思ってCXの機内からコッソリ持ってきたフォークとスプーンを使って食す。こんなすぐに使うとは思わなかったが、正しい判断だった。
 
インドでこのクラスのホテルに泊まるのは初めてだけど、良いですな。尤も、日本円に換算するとシングル一泊で2万円位だから、快適なのは当たり前か。インドのまともなホテルはTaj Mahal(タージ・マハール。インド最高の国際的なホテル。いまは“タージ・ホテル・グループ”になってインド各所にあるが、そもそもはムンバイの“タージ旧館”のこと。インド最大の財閥であるTata/タータの創始者が、イギリス人に馬鹿にされて怒って、ムキになってパリに行ってエッフェル塔の鉄柱を買って、それで建てた歴史的ホテル。デリーでもムンバイでも、当時の僕の最後の全財産を投入して泊まってしまった。尤も、ムンバイでは新館のInter-Continentalにされてしまったが。)しか知らないから、それと比べて“たいした事ないホテル”と思ってしまうが、あっちが良すぎるだけの話で、このホテルも“高級ホテル”だ。でも、タージを念頭に置いてしまうと、ここはボロかもしれないな。と言いながら、こんな所に泊まると、やはりビール(インドの貧乏旅行者にとってはかなりの贅沢品だ。)を飲んでしまう。
Murg Chaatは美味かったが、生野菜が入っているので念の為梅干しを食う。
 
8月23日(Sun.)
11:40  Santa Cruz(サンタ・クルーズ) Domestic Airport
今朝は7時過ぎに目が覚めた。外を見て驚いたのは、すぐ目の前が海だった。アラビア海。夕べはすぐ前に屋台がたくさん明かりを点けていたが、その奥は真っ暗で何も見えなかった。人も結構歩いている。
まずは昨晩洗濯した生乾きの衣類を、備え付けのドライヤーで無理やり乾かす。強力だがうるさい。それから着替えて、CXとIC(インディアン・エアラインズ)のリコンファームをしようとするが、電話をしても休日のため、テープ・メッセージが流れている。仕方なく、今日のムンバイ~Trv.の便の予約と出発時間の確認だけ、フロントに頼む。どこに電話したのか、10分くらいで折り返し返事があり、OKとのこと。本当か?疑わしい。
 
9時過ぎに下に降りてTravel Deskへ行くが、10時に開くということで誰もいない。仕方なくフロントで幾つか確かめる。判ったのは、①電車の時刻表は後程Travel Deskで確認してほしい、②Kahr Road(カール・ロード)はここから近い、③Kerala(ケララ)のBackwater Tourは、この時期雨季につき運行していない、などの極めて初歩的な内容。ついでに、最後にムンバイに戻ってきたときの宿泊予約もしてしまった。贅沢だし、泊まるかどうか判らないけど、保険をかけるつもりで。特に、Kahr Roadに近い、というのが大きい。ここは世界で唯一、共通メニューを変えさせたマクドナルドがある所。高級住宅地と高級商店街の地域らしいが、他に用はないので、このホテルに来る途中にでも寄れるかな、と思って。マハラジャ・マックという、羊肉のハンバーガーを食べてみたい。宿代は代理店を通すと$5-位安くなるようだけど、構わない。6,000Rs.+charge,tax。
そのままフロントにポーチを預けて外に出る。
3dd4a030.jpegca18330b.jpeg雨季でオフシーズンなのに、ビーチには店も人も多く、驚いた。遊具もたくさんある。手動式の観覧車やメリーゴーランド。馬や馬車が水際を走り回っている。沖では小舟で漁をしている。何が獲れるのか。たくさん屋台が集まっているうちの一軒の店の裏(海側)で、男の子が石の大きなグラインダーを使って何かの下拵えをしている。緑色のペーストをすっているが、ほうれん草か緑豆か。聞いても英語が解らないらしく、指で差し示すと“マサラ、マサラ”と言っている。“それは解ってるよ、何のマサラなんだよ?”と聞いているが、通じずに“マサラ、マサラ”と繰り返す。あきらめて屋台の表側に廻ると、この店はチャナ豆マサラのようなものを七輪にかけた浅い鍋に盛ってあり、手前半分くらいを崩してある。横には筒を輪切りにしたような芋まんじゅうのようなものが皿に載せてある。“ペティトペティス”(ポテト・パテとでもいうことか。)という食い物らしい。ひとつ食べてみる。オヤジに頼むと、まずチャナ豆の山を少しずつ崩して手前のスープの中に落とし、再度煮始めた。少ししてこれが温まったと見るや、芋まんじゅうを二つ、その中に入れる。しばらく温めてからこれを皿に取り、オニオンや様々なスパイスをかける。チリソースとオニオンの微塵切りについては一応かけるかどうか聞いてくる。両方とも沢山入れてもらう。10Rs.。うまい。ちょっとの甘みとスパイス類がちょうどいいバランス。横では別の少年がヤギと相撲を取って遊んでいた。
しばらく散歩して遊んでからホテルに戻り、チェックアウトする。ついでに昨晩、空港のThomas Cookで両替したときの500Rs.札2枚を崩してもらう。こんなところでも油断できず、最初渡されたお金は900Rs.しか無かった。まったく、インドだ。
 
サンタ・クルーズ国内空港へはAuto Rickshaw(オート・リクシャー。三輪の小型タクシーのようなもの。インドでは欠かせない足。南インドの人たちは“アウトー”と呼ぶ。)で行った。ホテルの玄関でベルボーイに呼んでもらったが、その時に大体の値段を聞いたところ、20Rs.位だと言う。しかしこの運チャン、メーター表示3.50Rs.に対して降りるときに40Rs.と吹っかけてきた。“何言ってんだ20Rs.位だろう”と言っても、メーター3.50Rs.は40Rs.と言い張る。しばらく頑張ってから、こっちが怒り始めると今度はメーターの末尾の“0”を隠して35Rs.と来た。いい加減にしろ、それじゃあTariff(インドのタクシーはどこでもメーター通りだが、ムンバイだけは違って、メーターの数字をTariffという料金表で換算する。知らないとこれを出さなかったり、古いのを出したりする。要するに、スキを見せるとボッタくりたがる。)を見せろと言うと、トーンダウンして渋々見せ、取り上げて確認すると24.5Rs.。25Rs.払ってきた。でもこんな事で言い合いしていたら油断してて、反対側のターミナル(Santa Cruz A.P.には、ターミナルが二つある。行き先で異なる。)に来ていた。まあ、ターミナルが二つある事は流石に知らなかったから、油断でもないかもしれないが。が、無料の連絡バスがすぐに来たので、特に実害なし。
 
12:10 飛行機に乗り込む。IC167、トリヴァンドラム行き。当初の出発予定は10:40だったけど、こっちに来る直前に変更になって、12:15発。国内線はかなりボロで、搭乗券もぺらぺらで、それを入り口のタラップの下でもぎっているから入り口が混雑している。整然と並ぶなんていうことはしない人たちだし。機内に入っても急きは指定されておらず、好きなところに勝手に座る。乗客は95%がインド人。4.99%が白人。アジア人は僕一人。
ムンバイは商業都市というだけあって、デリーとかと比べても全般にかなり合理的だと思う。たかりが集まってくることが少ないし、来た奴もしつこくない。こちらがきちんとしていれば無意味に嫌な目に会うことが少ない。ここまで、まだ小銭を持っていないこともあるが、“バクシーシ”を一回もやっていない。そういえばホテルのチップも出し損ねた。しまった。帰りは大目にあげないと。
今、“Jumpin’”という紙パックのライチ・ジュースと飴が配られた。前のほうの席には、パイナップル・ジュースを配っている。あっちのほうが良いな。
 
13:36 あと、30分位か。
c14b8df4.jpeg13時過ぎに昼飯が出た。Veg.を頼んだが、localでうまい。流石にこっちではVeg.はハズレが無い。サラダは生野菜をスライスしてあるだけで、味は何も無し。でも塩と胡椒で少し味をつけるとこれまた美味い。コーヒーは最初からミルクが入ってくる。砂糖は自分で入れる。
今のところ非常に快調で、このペースでいけば、帰りにまたRAMADAに泊まる必要はなさそうだ。Kahr Rd.に近いからというのもRAMADAの魅力であったが、RAMADAの中の本屋で買ったLonely PlanetもどきのMunbaiガイドブックにあった近郊路線図で場所が判ったから、リュック背負ったままでも行けるし。でもやはり$140の宿泊費は高すぎる。このような旅人には。
そういえば、チップで思い出した。さっきチェックアウトした時にカードで支払って、サインする際に金額も記入したのだが、ホテルの人が二個所に数字を書けという。見ると、宿泊費を書く欄ともう一つの欄があって、最後に合計額を書くある欄がある。紙をよく見ずに、何だそりゃと聞いたら“同じ数字で構わない”。で、宿泊費だけ確かめて記入して、その数字をそのまま合計額にも書いてきたのだが、今になってレシートをよく見てみたら、かの段にはチップの額を書いて、下の段に宿泊費との合計額を書くようになっていた。ホテルで夕べルームサービスを頼んだ時も、部屋を出てくる時のベッドメイク用にも、空港で両替したままだったから小銭が全く無くてチップを置いてこれなかった。ちょうどいいチャンスだったのに悪いことをした、と更に後悔した。
 
(夜、ホテルの部屋で)
Trivandrumの空港に着いたのが1430少し前。外へ出てバス停に向かおうとしたら、A.Rickshawの運ちゃんがくっついて来る。街まで行くのに、最初70Rs.と言ってたがほっといたらどんどん下げてきて、50Rs.と言い出した。事前に調べておいたところでは2年前の相場が50~60Rs.だったから、怪しみながら疑りながら、確かめながらもOKした。で、こいつの車に行ったところ、案の定、先に人が乗っていて、要するに二人で100Rs.近くで行くということ。まあ、いいか、ということでそのまま二人を乗せて動き出したが、走りながら、この先客と運ちゃんが喧嘩を始めた。何事かと思っていたら、急に止まってこの先客が降りてしまった。運ちゃんに聞いたら、やはり料金のトラブルらしい。運ちゃん、やはり客が一人になって50Rs.じゃ足らないようで、また空港に戻って客を探し始めた。少しは我慢して待っていたが、もうさっきの便で着いた人たちは皆どこかへ行ってしまって、空港の周りには客らしい人は見えない。待ちきれなくなって運ちゃんに、“いい加減にしないと降りるぞ。俺は急ぐからバスで行く。”と脅かして、どうにか発車させたが、今度はバス停に行って客探しを始めた。これも怒ったところ、困った顔して“50Rs.じゃ街まで行けない。100Rs.払え。”という。“No !”“80Rs.”“No !!”“70Rs.”“No !!!!!”“60Rs.”。きりがないので“I get off !!!!!!!!!”と言って降りようとしたら、慌てて50Rs.で行くと言ったが、やはり最後はバス停に寄って、インド人を3人も集めて乗せやがった。窮屈だったがあきらめ、とにかく急がせる。(本当は全然急いでなかったが。)結局2人は駅の手前で降りて、残りの一人は僕が降りた後もどこかに乗っていったが、先に降りた二人が10Rs.ずつ払っていたから、合計で4人で80Rs.が今回の彼の売り上げということでした。
 
Trivandrum Central Stationへ行き、汽車の切符を探す。しかし窓口に行ってインドの駅には極めて珍しい若くて可愛いお姉ちゃん(しかし例に漏れず、かなりキツイ)に予約のことを聞いたところ、今日は日曜日につきReservation関係は全て休み、とのこと。しかたなく時刻表を買って、明日また出直すことにした。時刻表は、各地区の詳しいものと、Trains at a Glanceという全国の急行を網羅したものとがあるが、Trains~は7月に改正された新しいVersionがまだ届いていない、というので仕方なくSouthern Railway’s Local Timetable/Aug.15,1998(15Rs.)を買った。これは初めて買ったが、なかなか詳しくて、読み物としても面白い。A4版で少し大きいが、わら半紙のようなペラペラの紙を使っているため、軽い。
そのままManjalikulum Rd. (マンジャリクーラム通り)の安宿街へ向かう。夕べのホテルが非常に良かったから、今晩は安い部屋に泊まって体を慣らさないと。最初、Lonely Planetで誉められているような綺麗そうな所を廻るが、全て満室だという。本当か?この雨季に?と思うが仕方なく、少し高そうなHotel Regencyに入って部屋を見せてもらう。ここはとても綺麗でさっぱりしているし、フロントのお姉ちゃんも感じが良い。坊や(ホテルとか飯屋によくいる。要は使用人みたいなものだけど子供で、簡単なお使いや調達なら何でも頼める。彼らは純粋にチップだけが収入、ということが多いようだ。)がA/C Roomとnon A/C Roomを案内してくれた。部屋も快適そうだが、A/Cが500Rs.。non A/Cでも250Rs.と、高い。両方ともシャワーが付いてて水はシッカリ出るが、お湯は朝だけバケツでもらえるシステム。ひとまず外に出て、他を更に探す。
少し奥に入った所にBhaskara Bhavan Tourist Paradise(バースカラ・バーヴァン・トゥーリスト・パラダイス)という“まさにそれらしい”宿を見つけて入ってみた。ここは全てnon A/Cで、3階の見晴らしの良い、ここにしては風通しも良さそうな部屋が50Rs.。汚いが、一応シャワーが付いてて、シーツも新しいのに取り替えてくれるというので、原点に返るつもりでここに決めた。
e8cd2c60.jpeg87df9ccb.jpegこういう安宿は“部屋の鍵が外からは南京錠、中からはカンヌキ”という一番信用できるタイプなので、却って安心できる。デポジット込みで100Rs.払い、チェックインして部屋に戻って荷物を降ろす。いつもこの瞬間にはとてもホッとする。文字どおり“重荷を下ろす”。ベッドに横になると、シーツは綺麗だがマットが少しじめじめしている。マットは気にならないが、枕までがじめついているのは少し鬱陶しい。仕方なくタオルを一枚、枕にかける。チョロチョロとしか出ないシャワーで汗だけ流して外に出る。リュックには鍵をかけてチェーンロックで机に縛り付け、ドアには自分で持ってきた小型の南京錠を重ねてかける。部屋の中には蚊取り線香を点けてきた。
MG Road(おそらくMahatoma Gandhi Road)という、マドラス(今はチェンナイ)で言えばアンナーサライのような、要するにメインロードをHotel Luciyaまで歩いて下る。いろいろな店がポツポツとあるが、まず、いつものショールを探す。シーツくらいの大きさでタオルくらいの厚さの、コートにもシーツにも毛布にもなる便利な逸品。初めてのインドでは、VaranasiからCalcuttaへの夜行寝台列車で窓から風がビュービュー吹き込んできたが、これにくるまっていたお陰で風邪も引かなかった。あれ以来愛用品となり、2回目のムンバイ(当時はボンベイか。)~マドラス旅行の際にも買ったが、一回目に調達したもの程は気に入ったのが無かった。何件か覗いているうちにやっと気に入った一枚を見つけた。緑と赤の渋い色調で、日本に帰ってからも使えそうだ。195Rs.。ここのテントもそうだが、街の所々に看板やら垂れ幕があり、“Onal Festival”などと書いてある。このときは判らなかったが、あとでPrasado(プラサド。Cochinで仲良くなったダンサー。詳しくは後述。)に聞いた所、Keralaの昔の英雄で“Onal何とか”という人がいて、この人を称えるお祭りをこの時期にKerala中でやっているそうだ。
しばらく歩いていると、道路から左に少し入った広場の大きなテントの中で、布類を中心としてたくさんの生活用品を売っていた。ここも覗いて、結局パジャーマーとクルターを180Rs.、土産のネックレスを120Rs.で買う。さっきの店も、ここの屋台も、久しぶりにインドで買い物をしたが、お金の払い方は相変わらず。品物を選んでから別な人の所に行って、そこでお金を払ってから先の人の所に戻って品物を受け取る。これがもっと大きな店になると、品物を受け取る所が更に離れたフロアとかにあって、慣れないと非常に不安になる。
Sri Padmanabhaswamy Temple(スリ・パドマナバースワミー寺院)の前を通って宿に戻る途中で夕飯をとる。Hotel City Towerというホテルの建物の下にあるVeg. Rest.に入る。ここで失敗してしまった。注文を取りに来た坊やにVeg. Biriyani(ヴェジタブル・ビリヤーニ。野菜ピラフみたいなもの。)を頼んだとところ、本当は昼しかやってないけど作ってくれるという。それならもう一つおかずになりそうなものも頼もうと思って、メニューを見てGhee Masara(ギー・マサラ。ギーは山羊の乳から作ったバター、マサラとは通常、スパイスを混ぜたもの、若しくはスパイスで肉や野菜等を炒めたものをいうのだが…。)を頼んだ。このときに坊やが変な顔をしたのだが、気にしなかった。これがいけなかった。
c0b44570.jpegBiriyaniを食っている所にやってきたのは、巨大なクレープの中にMasara、要するに芋とか豆とかの野菜をスパイスで炒めたものが包んであって、更にその周りに小さな器に入ったダヒー(ヨーグルト)やらダール(豆のスープ)やらが並んでいる。これはこれで立派な一人前の料理だと気付いた時は既に遅く、結局両方とも食べきれずに残してしまった。最初にもらった7upが9Rs.、V.B.12Rs.、G.M.15Rs.最後に飲んだコーヒーが2.5Rs.で合計38.5Rs.。チップを小銭で3.5Rs.置いてきた。ここで食べている途中、急にエンジンのような大きな音がして、何かと思ったら発電機。南インドは停電が多いとは聞いていたが、いきなりのお目見え。ここの建物はたまたま自家発電機があったから良かったが、帰りは当然真っ暗。飯屋を出るときに15Rs.の水のボトルを買って外に出ると、MG Rd.も一部で電気が点いているだけで殆どの電気が消えている。この辺はまだ車も通るし幾らか明かりもあるからマシだったが、宿の前の露地に入ると本当に真っ暗。途中で雨も降ってくるし、どうにかこうにか宿に辿り着いて蝋燭の明かりの軟らかなフロントの前を通って自分の部屋の戻る。手探りで南京錠を二つ、やっとのことで開けて部屋に入り、リュックの鍵もどうにか開けて懐中電灯を探して四苦八苦していると電気が点いた。こんなすぐ点くなら、じっとしていれば良かった。
このボロ宿、水の出がさっきより悪い。シャワーを浴びようにもポタポタしたたる程度。体はどうにか洗ったが髪の毛を洗うのはあきらめた。こっちにまだ体が馴染んでいないから、風邪を引くのが恐い。この天気の様子ではBackwater Tourはやはり駄目だ。明日の朝Cochin(コーチン)に直接行こう。それなら早朝に出発した方がいいので、今日はもう寝ないと。時刻表で調べた所、Cochinまでは約5時間、一番早い列車は05:00発。でもこれは早すぎるので、後を見ると、
06:00Triv.発・10:50 Cochin着   №6349,Trivandrum Mangalore Parasuram Express
(トゥリヴァンドラム・マンガロール・パーラースーラム急行)
09:20発・14:35着         №6525,Kanniyakumari Mangalore Exp.(カンニャークマリ・マンガロール急行)  。
11:00発・15:30着         №2625,Trivandrum New Delhi Karala Exp.(トゥリヴァンドラム・ニューデリー・ケララ急行)  。
この3本のどれかに乗ることになるが、№2625だと到着が遅く、宿を探すのに空き部屋がなくなるかもしれない。で、一応目覚ましをかけて№6349を狙い、起きた時の体調で場合によっては№6525に変更することにする。できれば午前中にCochinに着いて、余裕を持って部屋を探したい。
ムンバイでも朝は晴れていたが午後は雨だし、こっちに来ても雨。今回はとても“雨期らしい”雨期だ。香港でもそうだったし。
外を歩いていたら、あちこちの家の壁にStick No Billsと書いてあり、意味が良く分からず“立ちション禁止”かと思っていたが、調べてみたら“張り紙禁止”のようだ。こんなに警告するなんて、何の張り紙をされるのだろう。きりがないので、今日はもう寝る。

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