忍者ブログ

自分の身の丈は超えようとせず、身の丈までは常に精一杯。 自分が自分の行動記録的な日記として残しているブログ。 失礼恐縮&無礼勘弁。

自分の日記

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

南インド紀行(’98.8.22~29)その4

8月26日(Wed.)
またもや宿のレストラン。天井の板が外れている部分が、また広がっている。今08:15。今朝は07:30頃起きて顔を洗い、今からコーヒータイム。昨夜は明け方までひどい嵐で、うるさかった。でもよく眠れた。昼間晴れている時はカラッとして快適だが、嵐の最中は湿気がひどく、昨夜洗った洗濯物も全然乾いていない。明日の朝にはムンバイに出発しなくてはならないから、今晩はもう洗濯できない。今干してあるのも夕方までに乾くかどうか。
体はやっとインドに慣れてきた。垢のせいか身体が痒いが、夜は熟睡できるし体調は極めて良い。歩き廻っているから疲れはある程度あるが、ストレスは全くないし、絶好調。何故日本にいるといつも体調悪いのだか。お湯のシャワーを使いたい。ここの部屋、お湯が出るというのも魅力だったのだが、夕方から朝にかけていつも停電で、自家発電してるから明かりは点くが湯沸かし器は使えない。実質、部屋にいる時はほとんど湯は使えない。
大き目の漁船が沖に出て行く。おそらく一番遅出の連中と思われる。近くでは小さな船がウロウロしている。彼らはカニとかエビを採っているのだそうだ。そう言えば昨日Fort Jettyで船を待っている時、目の前でこんな小さな船が、細いロープに間隔を空けて枝糸が結んであってその先に魚の身だかカマボコみたいな餌が付いているような、海に沈めてある仕掛けに獲物が付いていないか点検していた。極めて原始的な道具で、それもそんな目の前の浅い海で、Chinese Fishing Netの側で売っていたようなエビだカニだが獲れるのか、不思議というか疑わしいものではあるが、彼らは職漁師には間違いないようなのでおそらくそうなのだろう。
既に日は昇っていたが、嵐の雲が残っていて外は薄暗かった。でもやっと、沖の方が少しずつ明るくなってきた。そろそろ頭をムンバイに向けて切り替えないと。宿はRamadaを予約してきたが、やはり街中で安宿を探そう。順調行けば昼くらいにはColabaあたりに辿り着けるだろうから、充分時間はあるし。それよりも毎日の嵐が今晩の来るだろうが、それが明日の朝まで残って飛行機が飛ばない、なんていうのが恐ろしい。さっきベッドの中で時刻表を調べたら、もしも明日の朝07:50の飛行機が欠航になったとしたら、それからすぐに駅に行って電車に乗っても、ムンバイに着くのは明後日の晩になってしまう。当然、香港には帰れなくなってしまう。それは困る。まあ、土曜日に日本に帰る必要はないから、最悪翌週の金曜日の朝くらいまでに着けば、その後の札幌出張には穴を空けないですむ。時間的には余裕があると慌てないですむ。いいね。
10:00になったので、下に降りる。フロントでPrasadoを待つ。今回は昨夜よりは期待していいだろう。昨夜が五分五分、今日は六:四か。でも約束の期待値は常に半分。しばらく待って来なければ、一人でMattancherryに行こう。
昨夜もこうして前の道路を見ているのが面白かったが、朝もこれまた面白い。インドの街はどこも朝が元気だ。トラックやリクシャーは多いし、仕事に行くような人も多く、賑やかで活気がある。この街は特に他と比べて、かなり西洋化されていると思う。宿のレストランでも、夜になるとインド人が酒を大っぴらに飲んでいるし、それも親爺たちだけでなく、小金を持っているような遊び人ぽいというか、中にはチンピラみたいのもウロウロしている。こんな中途半端な連中は東京とかロンドンにはよくいるが、Cochin以外のインドの街では見たことがない。おそらくGoaとかも同じようなものだろうが、歴史的に西洋人と接してきたからか西洋文化に慣れているようで、田舎だから人が朴訥ということもあろうが、なんというか、すぐにお金を欲しがったり物を欲しがったりするような、インド特有の鬱陶しさがあまり感じられない。遊び人のような輩がうろついているのは不愉快であるが、逆にこれだけで、あとは旅行者にとっては快適なことばかり。人間がさっぱりしているし、他の街ほどインド人間の身分差とかも感じない。こっちも余計な神経を使ったり、警戒したりしないで済むので、とても楽だ。ジュースのような身の回りのものを見ても、ここにはThumbs UpなんかなくてSeven Upだし、LimcaでなくてMirindaやPepsi。でも、こんな面も段々と変わって行くのだろう。旅行者が安直なことを繰り返して、旅行者はおいしい、と思い始めたら後は悪くなるのは早いし。悪い意味でのインドの都市になって行く。寂しいことだね。今まで晴れていたのに、急に雨が降ってきた。
10:30ころになって、Prasadoはやって来た。船に乗り遅れた、と謝るが、問題ない。この宿の前でボーッとしているのは結構楽しいから。Mattancherryに行こうというので、Jettyの方へ歩く。Jettyを越えてState Bank of Indiaに寄って両替をする。$20-が838Rs.に。この店は小さいからか、早かった。Prasadoを待たせているので急いで外に出て、Synagogne(シナゴーグ:ユダヤ教会。Cochinにはインドでは珍しく、ユダヤ人街があるが、ユダヤ教徒は今では一家族、6人しかいないそうだ。)にのんびりと歩いて向かう。この辺りはJew’s Townだが規模は小さく、廻りはモスリムに囲まれている。Mattancherryはモスリムの街、Fort Cochinはクリスチャンの街だそうな。だからFortには学校が多いそうな。途中で服屋を見つけ、パジャーマーとクルターを選び、胸にポケットをつけるように頼む。全部で160Rs.。お土産にスカートも選ぶ。150Rs.というが、合わせて300Rs.にまけてもらう。Prasadoに確かめながら、そんな高くない、という値段で妥協。修理を頼んでお金を払い、Synagogneの帰りに受け取って帰ったのだが、最後に店を出る時に、店の親爺がこっそりPrasadoに10Rs.を渡していた。店に案内してきたものと思ったようだ。でも他の街ではよくあることなので気にしなかったのに、Prasadoはもらったお金をわざわざ僕に見せて、バツ悪そうにしていた。この人は本当に真面目というか正直というか、インド人とは思えないくらいクリーンな人だ。芸術家なんていうのはどこの国でも非常識だから、彼もいい意味で非常識なのだろう。純粋。話していても笑顔はとても柔らかいが、無表情の時は非常にシビアな顔になる。優しいがプライドはとても高い。純粋だが、やはりプロだなァと思う。
途中の道には米屋、豆屋、スパイス屋が集まっていた。小売りもするのだろうが、中問屋といった感じの店ばかり。トラックから、コメをバラバラと落としながら麻袋を降ろしている。豆やスパイスはもちろんだが、驚いたのはコメにもいろいろな種類がある。赤い米や黄色い米、長い米や丸い米、インドで主に見る長粒種だけではない。スパイス屋にはDried Red Chilliも山積みになっていた。料理にいつも入っているGreen Chilliは見えない。おそらく八百屋の領分なのだろう。
Synagogneは小さな教会だ。入り口も露地の奥でぱっとしないし、中も狭い。でも中国から持ってきたという床のタイルやシャンデリアは歴史を感じさせるものではあるが、美しい。壁が路地に沿って他の建物とずっと繋がっているので、或いは奥は広いのかもしれないが、入れる部分は少ない。中ではたまたまグループの観光客相手にガイドが説明をしていたので暫らく後ろで聞いていたが、大体が解ったところで出てきた。入場料は1Re.だが、二人分を一緒に払う。
のんびり喋りながら、歩いてまたFortに戻る。まだChinese Fishing Netまでしか行ってないので、もっと奥の*****を案内してもらう。こうした、散歩しながらの世間話は楽しい。インドにもマフィアはいて、特にムンバイには多いそうだ。宿から少し奥に歩いたところにモスリム寺院があるが、そこの門は緑で塗られている。この緑は、モスリムの色だそうだ。Fortのダンスセンターでは、ほぼ毎夕踊って、月に100Rs.位貰うそうだ。大都市に行けば500Rs.位は貰えるそうなのだが、Cochinは物価が安いのでこれで充分なんだって。月に100Rs.というと、彼の生活からしたら少ないと思うが、他にマッサージとかの副収入もあるようだから大丈夫なのだろう。これらも合わせた総収入は聞かなかったが、飯も普通に食うしリクシャーにも乗るし、お金には特に厳しい思いはしていないようだし。
Chinese Fishing Netの前を通った際に、漁師の中にPrasadoの友達がいた。他の漁師たちも一緒に写真を撮り、獲れた魚を見せてもらう。ここでは変な赤いドロメのような、ちょっとグロな魚もいた。この友達はCochinの人だと言うが、どういう友達なのか。職業も違うし、接点がよく解らない。
St. Francis Churchで、かつてザビエルが死んで、その死体がしばらく置かれていたという場所を見る。教会内の床に置かれていたようだが、理由や状況はよくわからん。Santa Cruz Basilica ではミサが行われていた。これらの教会はそれぞれ歴史はあるが、入場料も取らず写真の制限もなく、Fortのクリスチャンの日常的に使う教会のようだ。
ひととおり見て、再びJettyに戻る。昼時になって腹が減ったので昼飯を食ってから解散しようということになったが、PrasadoはFortにはあまり知った食堂はないらしく、Hotel Seagullのレストランに行こうとする。でも僕はもっと違った、localな食堂に行きたい、と伝えたところ、よく行く食堂がErnakulumにあるというので、そこに行くことにした。Fort Jettyで船を待っていたところ、船着場で親爺が魚釣りをしている。かなり年取っているが、明らかに職漁師。しかし使っている道具がかなりちゃちな物で、1mほどの短い枝のような竿の先に、竿よりは幾らか長いテグスが結んである。その先に小さな針が付いているだけの、田舎の子供がメダカ釣りでもするような、本当にちっぽけな道具。見ていると、この針に小さなエビを付けて、ウキもないので要するに脈釣りをしている。しばらく船着場の前に餌を投げ込んでいたら、じきに10cmもない小さなイシダイの子供の仲間のような魚を釣っていた。何も考えずに見ているとほのぼのとしているが、この老漁師はこんな小さな魚を1匹ずつ釣って、どれだけの収入になるのだろうか。
しばらくすると船が来た。13:20発だ。いつもそうだが、船の乗り降りは早い者勝ち。乗るほうも、決して降りる人を待っている訳ではないようで、ただ船が着いた時には降りる人間が乗降口に詰めかけて降りようとしているので、仕方なくその集団が降り終わるのを待っている。でも主に女の人たちが入口から乗り込もうと待っているのとは別に、身軽な一人の若い男とかは窓からドンドン乗り込んで、まだ降りる人が続いているうちに席を占領してしまう。降りる人たちの大方が外に出ると、まだ大きな荷物や自転車を持った人が数人降りれずに残っているのに、イライラしながら外で待っていた人たちが我先に乗り込み、女の人たちは前のほうの席を争い、男たちは後方の残った席に早い者勝ちで座る。一通り落ち着くと、自転車や大きな荷物の人たちがやっと降りて行く。インドの乗り物を利用する時は、バスも電車も、皆こんなだ。
20分ほどでMain Jettyに着き、オートリクシャーに乗る。Prasadoが行き先を告げているが、何を言っているか解らない。オートは、昨日行ったState Bank of Indiaの横を通りすぎ、じきにUターンして道路の反対側の”Spiceboard”というバス停の前で止まった。そう言えば、事前にインターネットで調べてきて時間があったら行ってみようと思っていた場所の中に、”Spiceboard”という要するに州政府観光局だかがやっているスパイス案内所のようなのがあったが、それのことなのかもしれない。このバス停のすぐ前にある”Hotel Athul Jyothi”というVeg.食堂にPrasadoは入って行く。普段から良く来るらしい。空いているテーブルに座り、Prasadoに何を食べたいか聞かれ、廻りを見ると、皆プーリー・マサラのような一皿定食を食べている。それも美味そうだったが、出来れば米が食いたいと言ったところ、注文してくれた。しかし米の定食は2階に行ってくれと言われ、席を立って2階に上がる。ここで注文したところ、今度は米の定食には入口でクーポンを買ってこい、と言う。仕方なくPrasadoが行こうとするのを止めて待っててもらい、下に降りて入口でクーポンを2枚買う。案内してもらっているからもあるが、タクシー代もPrasadoが払ってくれたし。この人、ほっておくと全部自分で払おうとする。クーポンは、”Coupon for Rice, Two.”と言って、買った。2枚で30Rs.。すぐに小鉢の乗った皿が配られ、飯鉢を抱えたおっさんが飯をドカッと盛っていく。よく写真でも見る、“南インドのミールス”そのままの、典型的な定食。バナナの葉ではないが、大きなプレートの真ん中にコメを山のように盛り、廻りにいろいろなアイテムが並んでいる。こんな街の定食屋ではどこもそうだが、飯もおかずもお代わりし放題。コメは丸くて、薄皮みたいのが少し付いている。こんなコメは始めて見た。よく見る細長いのは、高級品なのだろう。確か、Mattancherryへ行く途中のトラックが積んでいたコメも、丸かった。シンプルだが結構うまく、お代わりも少しもらった。皆は当然手で食べているが、僕はスプーンをもらった。
飯を食い終えてPrasadoと別れる。彼は昨夜はWillington IrlandのHotel ”Taj Malabar”で踊っていたそうで、今晩もそこへ行くので、そろそろ準備の時間らしい。因みに”Taj Malabar”というのは、“あの”Taj系の、Cochinで一番高級なホテル。昨夜は日本のトヨタの社員が二人で来ていたそうだ。そう言えば、トヨタは来年からBangaloreで自動車の合弁生産をすると言う記事を、以前に新聞で見た。その準備か何かで来たついでなのだろう。もしかすると、車をCochin港から他に運ぶのかもしれない。そんなことはないか。輸出なんかしないし。部品の輸入かな。
Prasadoは本当にいい奴だった。とても楽しかった。また来る約束をする。次回はwifeを連れてくると言ったら、その時にはAlleppyの彼の実家に呼んでくれるそうだ。写真を送るために住所を聞いて、礼を言って別れた。
PRASADO.S : Devi Musics & Giftland(お兄さんの店だそうな。)
       N.S.S Shoping Complex, Pazhaveedu P,O., Alappuzha-9
彼と別れてから、昨日のスーパーマーケットに寄って土産を買う。黒胡椒を更に1パックと紅茶の小袋を2種類×2袋ずつ、昨日のココナッツオイルの小瓶を2本、合計150.40Rs.。やはり高い。ゆっくり歩いて昨日サモサを買った店を目指す。途中酒屋があって、ウイスキーやブランディーの300cc位の小瓶が100Rs.程度からだった。前に見たデリーの酒屋より明るく、胸張って売っている感じ。
サモサ屋でコーヒーを飲んで一休み。5Rs.。そのままMarine DriveをMain Jettyとは逆に北に向かって歩き、Vypeen(ヴァイピーン)島行きの船に乗る。1.60Rs.。船は丁度出るところだった。とても混んでいる。15:30発で、いつものように巨大なホテイアオイの群れの中を進む。これ、小さいのはうちの庭にあったホテイアオイとまさに同じだが、考えてみればここは海だ。ホテイアオイって海にもあるのか?15分ほどでVypeen島に着いたが、疲れていたのと、港の廻りには特に面白そうな様子もないので、港のすぐ脇のChinese Fishing Netを覗いてすぐ波止場に戻り、次の船でFortに戻ることにした。
帰りも船はすぐに出た。乗り込んだ時にはまだ誰も乗っていなくて、一番奥のほうに立っていたら、次々に人が乗ってきた。その中に、おそらく東南アジア系と思われる40才代の男の人が乗ってきて、この人、船の中に降りたところで頭をぶつけた。で、大丈夫か、などと話が始まった。この人、インドネシアから来たそうだが、もう永住するつもりだそうな。この人、こっちに来て長いらしく、あまり情報がないそうで、ジャカルタの暴動の状況とかを知ってる範囲で教えてあげる。そのうち、近くにいたサイババが髪を切ったような女連れのインド人が話に入ってきた。こいつはインチキ臭く、港に停泊している巨大コンテナのような船を自分で所有して商売していると言う。まあ、それ関係の仕事をしているのには間違いないようで、金もそこそこは持っていそうだが、コンテナ船はどうだか。インドではありえない話ではないが、5分の一程度に聞いておく。こんなそんなで時間はすぐ経ち、10分程度で船はFortに着いた。波止場はいつもの所ではなく、Fishing Netの手前の所。船から降りて彼らと挨拶して別れ、宿に戻る。シャワーを浴びて一休みする。今晩もKathakaliを見に行こうか。Prasadoはいないはずだが、なかなか面白かったからもう一度見ておきたい。同じストーリーを違う役者で見るのも良いが、違うストーリーでもやっていたら、尚いい。
20:25。カタカリ終わって帰ってきた。おとといの黒いメーキャップの役者は、今日は緑の化粧をしていた。でも緑はgoodnessで、ヒーローのはずだったが、この人はまたもや殺されてしまった。役柄とは関係なく、この人のキャラクターなのかもしれない。そんなことはないか。この人、一番面白い。表情とか体の動きがとてもコミカル。全般にカタカリはコミカルな手話劇を大袈裟な衣装でやっているようで、笑える。その中でもこの役者は面白い。表現が豊かと思う。舞台が終わってから、太鼓親爺たちと少し話をして挨拶し、この役者にPrasadoに宜しく伝えてくれるように頼んで、帰ってきた。今晩も舞台が終わると同時に停電になり、帰りの道はまたもや真っ暗だった。
夕食はいつものように、宿のレストラン。最後の晩餐だからと思い、ビールを貰う。飯も贅沢して、この前美味かったVeg. Makhanvala 30Rs.と、ボーイの兄ちゃんお勧めの魚の切り身料理100Rs.、Veg. Biriyani 35Rs.を頼んだ。じきにビールが来た。Kingfisherで、すごく冷えている。インドでこんな冷たいビールを出すレストランは、そりゃ高いのは仕方がない。料理も美味いから良いのだが、もう少し違う店でも食いたかったな。高いから他の旅行者もほとんど来ないし。最後になって判ったが、下にあるガーデンレストラン、昼間はいつも閉まっているし夜も嵐が多くて行ったことが無かったが、天気の良い夜には結構繁盛しているようで、チラッと見えたところでは外人客もいたようだった。蚊がここより煩そうだが行ってみる価値はあった。残念なことをした。インドのビールでも冷えていると美味いもんだ。こっちに来て酒を飲んだのは、最初にRAMADAでビールを1本と、一昨日あのインド親爺達に奢ってもらってブランデーを水割りで2杯くらい飲んだだけ。日本では毎日飲んでいるせいか、本当に久し振りの気がする。でも飲みすぎないようにしないと。美味いからと言ってあまり飲むと、Non A/Cの部屋に戻ってから体が火照って眠れられなくなるかもしれないし。荷物を用意する間に冷めるかな。今晩で居心地良いCochinともお別れだ。明日の朝の便でムンバイに戻る。さっきフロントの連中に、明朝6時にオートリクシャーを呼んでくれるように頼んだら、オートはそんな早い時間には来ない、と言うので仕方なくタクシーを頼んだ。空港まで100Rs.位だそうだ。ムンバイに最初に着いたとき以来、2度目のタクシー。
21:30 食事終了。飯は美味かった。が、かなり残してしまった。“魚の切り身”は確かに名前の通りだったが、焼いてあるのではなく煮たようなものだから、余計量が多い。4~5人で食えるくらいの量。それにビリヤーニも結構多いしVeg.なんとかも充分あるし。本当に勿体無いことをしてしまった。インドの皆さん(除く、金持ち)、ごめんなさい。Prasadoにも悪いことをした。昼間彼がここに来ようとした時に、“ここは飽きたし、高いから。”と言ってErnakulumの安食堂に連れていってもらったが、こんなに残すなら同じ物を一緒に食えば良かった。こんなレストランは、多分彼一人ではなかなか来れないだろうし。でもそんなことはしないほうが良いのか。旅行者の生活とネイティヴの生活は違うし。…やはり、こんなことを考えること自体、彼に失礼な話だ。まァ、日本に帰ったら別な形で、例えば歌舞伎の写真でも送るとかして、感謝しよう。本当に良い奴だったから。
あのアーユルヴェーダのマッサージオイル、かなり強かったようだ。体中に発疹が出てしまった。ところどころ痒くて、最初は、水のシャワーしか使ってないから垢のせいと思っていたが、段々ひどくなってきた。完全にオイルのせいと思われる。昼間街に行った際にも土産にもう一本買おうかとしたが、瓶のラベルを良く見たら医薬品扱いになっていたのでやめた。何が入っているか判らないから、税関とか検疫でつかまるのも困るので。耳とか首の廻りはかなり日焼けしているから、そのせいもあるのだろう。日焼けは早く治まってくれないと、日本に帰って怒られる。困った困った。
もう寝よう。自分の部屋でビールを飲んでいたとこ。22:40。飯食ってから部屋に戻って、シャワーを浴びてからビールを持って来てもらった。55Rs.。相変わらず高い。飲みながら荷物の整理をしていたが、大体終了。おやすみ。
PR

COMMENT

NAME
TITLE
MAIL(非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS(コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[06/21 NoName]
[03/20 nobu]
[03/17 NoName]
[03/17 nobu]
[03/14 NoName]

最新TB

プロフィール

HN:
jijihen
年齢:
63
性別:
男性
誕生日:
1961/03/27

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

P R

Copyright ©  -- 自分の日記 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]