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自分の身の丈は超えようとせず、身の丈までは常に精一杯。 自分が自分の行動記録的な日記として残しているブログ。 失礼恐縮&無礼勘弁。

自分の日記

   

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南インド紀行(’98.8.22~29)その5

8月27日(Thu.)
コーチン最後の朝。目覚ましを5時5分と5分前の2回かけたが、最初のベルで問題なく起きて、今さっき支度を終えたところ。05:40。夕べ念のためにと頼んでおいたwake up serviceも、5分くらい前に爺さんが部屋まで起こしに来た。
夕べは珍しく、嵐ではなかった。お陰で湿気もさほどではなく、干しておいた洗濯物も無事収納。ショールだけはリュックに入らないので、手で持っていこう。飛行機の出発は07:50。天気を心配していたが、これなら大丈夫。もう一度トイレに行って、下に降りよう。
下に降りると、タクシーは既に待っていた。フロントには誰もいなかったが、カウンターの奥で寝ていた夜中番の親爺を起こし、この親爺がフロントの兄ちゃんを起こしに行ってくれて、目をこすりながらドーティー巻いて出てきた兄ちゃんに鍵を返して、check out終了。Check out と言っても、鍵を渡しただけだったが。フロントの兄ちゃんいつもはズボンをはいていて、コーチンは流石に西洋化していると思っていたが、やはり寝る時はドーティーらしい。この辺はマドラスのチャック柄と違い、皆、白のドーティーだ。少しオシャレなのでも、シンプルなラインが1~2本入っている程度。生地もマドラスのドーティーみたいにゴワゴワしておらず、売っているのを手にとっても柔らかい。買おうかとも思ったが、どうせ使わないだろうと思ってやめた。
タクシーは薄明るくなってきた街中を抜け、大きな橋を渡って空港に向かう。かなり古そうな橋だが、運ちゃん曰く、この橋はイギリス人が作ったそうで、スプリングが組み込んであってクッションが効いているそうだ。
空港には6時過ぎに着いた。100Rs.。この空港は、Navyの基地の中にあるそうだ。空港はまだ空いていなかった。周りの車で待っている人に聞くと、06:30にならないと開かないと言っている。あと30分も寝られたのに。周りには何もないので、仕方なくウロウロしていたら、じきに建物のドアだけ開けてくれた。しかしcheck inは流石に早めてくれず、鍵を開けてくれたおじさんもどっかに行ってしまい、仕方なく一人でしばらく待つ。ボロで狭い空港だ。誰も人がいないのをいいことに、中のほうまで入って写真も撮ってしまう。インドでは空港等の写真撮影は禁じられているから、コソコソ、ビクビクしながらも、貴重だ(と思う)。
そのうち人が段々増えてきて、通常の動きが始まり、飛行機に乗り込み、出発。順調。
 
15:40 Carlton Hotel, Colaba, Mumbai.
コーチンからの飛行機は09:35到着のはずだったが、結局10時ごろ着いた。ムンバイはどしゃ降り。体調も良いのでRAMADAには行かず、最初にMacDonald’sのマハラジャ・マック目指し、そのまま市内に向かうことにする。
国内線のSahar APにいるのは全てpre-paid taxiばかりで、高い。ナリマン・ポイントまで500~600RS.、Kahr Rd. Stationまででも400Rs.などと言ってやがる。ロータリーのようになった緑地帯の向こう側にいるオートリクシャーはpre-paidではないはずだが、そこの連中がまたタコで、Kahr R.S.までpre-paidで350Rs.などとぬかしやがる。ここで揉めた。横にいた客引きがメーターで行くと言うので案内されたオートでも更に確かめて乗ったのだが、この客引きも乗ってきて、動き出しながら“メーターより安いfixed price”などと言い始めた。メーターで行け、と言っても二人で“安心しろ”とか“絶対安い”とか行って走ろうとする。きりがないので、怒って車を止めさせて降りようとすると、“走ったから金払え”と言う。“ふざけるな、嘘つきやがって。こっちこそ、また戻って別な車を捜さなくてはならない。元に戻れ。”“乗った分だけは払え。”“払わん”“じゃあ乗せたところに戻るから金よこせ”と言ってバックして元の場所までも戻った。ここでまた、“払え”“払わん”“客待ちの列から一度離れてしまったから、また最初から並ばなくてはならない。その分だけでも払え。”“離れたのはそっちの勝手だろう。メーターで行かないのに行くと言って、騙して乗せて走ろうとしたんだろう。こっちは何も頼んでない。払う必要はない。”としばらくワーワーやってたがキリがない。最後に、二人に15Rs.ずつ払ってくれ、と言ってたが、“これで二人分だ!”と10Rs.やって離れた。後ろでまだ騒いでいたが、10Rs.は受け取ったので、無視。ここから離れ、外の道路を目指し歩く途中で、空港のロータリーから出る所にいたオートリクシャーに声をかけてKahr R.S.に行ってくれと言うと、OKと言う。幾らか聞くと100Rs.。オートリクシャーでも安いので頼んだら、少し待てという。見てると後ろから来たタクシーを捕まえて、同じ条件で行くように話をつけてくれた。どしゃ降りの中だったので、本当に助かった。しかし、このリクシャーが何故自分で行かないのかは判らなかった。不思議だ。
乗ったタクシーの兄ちゃんは明るくおしゃべりで、楽しかった。途中までは。乗った時に念のためもう一度行き先と値段を確かめて、更にマクドナルドを知っているか聞いて、これは判らないようだったがその後もいろいろと喋りながら、車は大雨の中を快調に走っていった。と、急に車が止まり、運ちゃんが“I’m sorry.”と言う。前を見ると、道路が水没していて、人は歩いているが膝くらいまで水に浸かり、車は車輪が全部水没して動けなくなっている。これ以上進めないようだ。もしかすると空港でこのタクシーを捕まえてくれたリクシャーの運ちゃんは、この通行止めを知っていたのかもしれない。とにかくUターンして車を止めさせ、運ちゃんと相談する。運ちゃんが言うには、Kahr R.S.へ行くなら大きく回り道をしなくてはならず30分以上はかかるから、100Rs.ではとてもじゃないが行けない、250Rs.欲しい、と。高すぎる、とこれはこれで交渉しながら他の行き方を聞くと、Kahr R.S.の隣のSanta Cruz Stationなら、ここから近いし、150Rs.で行くと言う。最終的に30分の迂回路で200Rs.か、Kahr R.S.まで電車で3分、ここからすぐのSanta Cruz S.まで150Rs.か、どちらかでの選択となり、Santa Cruzに行ってもらうことにした。
行ってみるとSanta Cruz S.は本当にすぐで、降りる時に150Rs.は高いと文句を言ったが、一度OKしてしまったから当然駄目。少し悔しかったが、あの状況では仕方ないと諦める。今回は運が無かった。この時間帯の運は、この車を捕まえた所で尽きてしまった。
Santa Cruzの駅に入り、3Rs.の切符を買う。改札を入って階段を上り、ホームへの陸橋を渡りながらKaht R.S.行きのホームを他の人に聞いていると、そのホームに電車が入ってきた。走って階段を降り、混んだドアに飛び乗って奥にもぐった所でちょうど発車。ギューギュー詰めで苦しい。写真でよく見る、人がドアの無い乗降口にぶら下がっている光景の、その内側にいる。蒸暑くて、すぐに汗がだらだら出てくる。
タクシーの運ちゃんはKahr R.S.まで3分くらいと言っていたが、途中ずっと停まっていて10分くらいかかった。走っていたのは3分くらいか。結局11:40頃Kahr R.S.に着いた。ここはムンバイ郊外の高級住宅街で、少し歩いた所にある*****道は、超高級ショッピング・モールになっているということ。インターネットのホームページ“印度的酒天小姐(酒呑)”を書いているHarukoさんにメールで教えてもらった案内に従い、マクドナルドを探す。でもここも駅から少し離れると水だらけで、ひどい所はふくらはぎまで沈む。歩くというより、泳ぐ、というかんじ。これで足に擦り傷でもあったら、完全に破傷風だ。水のせいか、なかなか辿り着けず、アッチ行っては戻り、コッチ行ってはまた戻り、道を聞いてもそれが少しずつ違っていて、結局辿り着いたのは12:30頃になっていた。1時間近くウロウロしていたことになるが、足元は当然ズブズブだし傘さしていたのにリュックやシャツもびしょ濡れになっていた。何もハンバーガー食うためだけにここまですることも無いのだろうが、今日は夜まで暇だし、この天気じゃエレファンタ島にも行けないし、マックでもどこでもいいから目標を決めて知らない街をうろつくのが楽しい。でもそれにしてもひどい状態。全身ずぶ濡れ。
マックは大きな高級ショッピング・モールの、金持ちの師弟がうろついているエリアのど真ん中にあった。入口には鉄砲を持った番人が二人もいる。銀行ですら一人なのに。中に入るとこれがまた見るからに金持ちそうなお子様たちと親御様たちがいらっしゃる。リュックなんて背負っているのはもちろん一人だけだったが、一緒に列に並んでメニューを眺めながら順番を待つ。番が来た。Maharaja Mac48Rs.、Vegitable Burgerにチーズを入れて36Rs.(チーズなしだと31Rs.)、レギュラーサイズのコーラ15Rs.、ホットコーヒー13Rs.、合計112Rs.!やっぱ高いよ、これは。注文聞いた最後にお姉ちゃんが「ポテトはいかがですか?」と聞くのは万国共通だが、メニューボードにsmile 0Rs.とは書いていなかった。2階に上がると席の造り自体は日本のマックとあまり変わらないが、テーブルや椅子の間隔が若干広いようだ。フロアの一部をガラスの仕切りで区切って、赤んぼ連れのファミリーコーナーになっていて、またごみ箱カウンターの上にはナプキンやストローはなく、ポンプが二つ置いてある。これはケチャップとMac Chilliというチリソース。ストローは飲み物を買った時に貰うだけ。コーヒーには既にミルクが入っている。
マハラジャ・マックはマトンで作ったビッグ・マックだが、確かにほんの少し、マトンの香りがする。味はビッグ・マックと大した違いはなく、評価は分かれるだろう。美味い不味いで語れば、評価には値しない。しかし、このメニューは、世界のマクドナルドのラッピング・ペーパーに包まれたマトンのハンバーガーは、世界中でこの国にしかなく、店舗も現在はこのムンバイの店と、あとはデリーに2店舗か3店舗あるだけ。この希少価値と、こんな一個数百円の大量生産のレギュラーメニューに宗教性が反映されている、というアンバランスな重さを鑑みれば、¥今こうしてここでビッグ・マックを目の前にしていることは、ある意味でインドの特殊性の真っ只中にいる、ということかもしれない。そう思えば今日は有意義だ。と言うか、そうでも言わないと空港からここまで来たこの苦労は何ナノかと思ってしまう。次に行く。ヴェジ・バーガーは、Veg. Masaraのフライをバンズに挟んだだけ。これについても評価はマハラジャ・マックと同じ。マック・チリはかなり辛い。普通のチリ・ソースか。まあ、腹が減っていたから美味かったが、満腹になると、単に“話の種”というもの以上ではない。ご馳走様。
空港のリクシャーのときもそうだったが、トラブルにはかなりOKになってきた。体調が良くて余裕があるせいもあるのだろうが、粘りが出てきた。全てを楽しめるようになっている。
今日はこの後、ムンバイの中心部へ出て宿を確保し、荷物を置いて夜までうろつこう。宿は荷物を置くだけだから安宿で構わない。Colabaを目指す。あまりゆっくりもしてられないので、出発。ただ今12:45。
マックを出て、目の前でオート・リクシャーを捕まえて駅へ向かう。来る時は50分くらいかかったのに7分で着いて、メーターで7.70Rs.のところを8Rs.払う。Churchgate Stationまでの切符5Rs.買ってホームに行くと、丁度、前の電車が出た所だった。時刻表を見ると、10分くらいで次の電車が来る。驚いた、と言うよりインドを甘く見ていただけだが、インドで10分置きに運行する電車があるとは思わなんだ。じきに来た電車は来た時と同じように混んでいたが、今度は慌てないで済むので余裕がある。入口から少し中に入った辺りで落ち着き、窮屈だったが我慢。動き始めてから、前に立っていたオジサンにChurchgateまでの時間を聞くと、にやりとして“33分きっかり。”と誇らしげに答える。いつもこの電車に乗っているようだ。これがきっかけとなり、ゴトンゴトンと揺られながらいろいろと話をする。人相はあまり良くないが立派そうな感じの人だ。優しくていろいろとインドのことを教えてくれる。が、僕には優しいのは有り難いが、途中、僕のために横にいた少年を怒り始めたのには困った。このオジサンは乗降口のそばの壁に立っていたのだが、人と人との間でつぶされている僕のために、自分の横に空間を空けてくれようとして横にいた少年を出口のほうに押しやり、そこに入って壁に寄りかかれ、と言う。確かにその方が楽なのだが、こんなギューギュー詰めの電車の中でそれは無理というもので、空間がなかなか空かないとなるや、その少年を怒り始めた。僕が、大丈夫だから、と言って止めさせようとしても聞かず、少年は怒った顔をしながらも、“遠くから来た旅行者のためにお前はどけ!”という感じのオヤジの勢いにまけ、結局どいてくれた。こっちも困るが仕方ない、少年に“一応”お礼を言って、隙間に入れてもらった。こういうことはインドでは多い。このオヤジや少年のカーストはよく判らないが差があるのは歴然で、こういう場合に上位の者が下位の者に対して、相手を人とも思っていないような扱いをして、またされたほうも、例えば今回で言うならスペースを取られたことに対して露骨に不満そうな顔はしても、そう扱われたこと自体については仕方ないというか、それで当たり前、という顔をしている情況はよく目にする。
このオヤジ、話も面白い。インドの言語は主なもので64種類あるそうだ。カルナータカの言語はサンスクリットから派生したものだとか、今でもサンスクリットを使っている村が一つだけあるとか、良く知っている。駅に停まるたびに車両の中は空いていく。途中、盲目の歌唄いが二人で手をつないで唄いながら、狭い車内の人の間を過ぎて行く。誰もバクシーシをやろうとしないので、じきに降りていった。オヤジとの話は、ムンバイのタクシーとオートリクシャーの話になった。この街以外では、タクシーもオートリクシャーも、メーターで走る時にはメーターの数字がそのまま料金になっている。これが当然なのだが、ムンバイではこれが違って、メーターの数字を換算する表(tariff)があって、これに従って料金を払う。おそらく、この街の異常な物価高からの推測だが、かつて物価の高騰が激しい時に、その都度タクシーのメーターを直すわけにいかず、別に換算表を作って対応したものと思われる。これを知らないと請求されたときにメーターと違うと揉めたり、ボッタクられたり、また知ってても古いタリフを出されて、これは古いから、とこれまたぼったくられたりする。だからムンバイでタクシーやオートリクシャーに乗ったときには、お金を払うときに必ずタリフを出させ、それに従って支払うようにする。オヤジとその話になり、僕がタリフも信用できない、と言うと、おもむろに自分の財布から小さなタリフ・カードを出して僕にくれた。これは本当に有り難かった。まあ、出来ればインドに着いたときに手に入れたかったが、また次の機会もあるかもしれない。それより段々と、このオヤジの親切さに不安になってきた。現地人との接触にはかなり神経遣って警戒しているし、常に相手の様子を見て、心身ともにいつでも逃げられるような体勢でいるようにしているのだが、今のところ、このオヤジは大丈夫という反応を脳みそがしている。でもあまりに親切なので、その点だけで脳みそ後頭部のエマージェンシー・ランプが小さく点滅し始めている。これから仕事に行く、というのでその辺に話を持っていくと、名刺をくれた。言うには、Churchgateの目の前のビルにofficeがある。自分のビルだ。
D.Rajamani
 5/158 MHB Colony, Sunder Nagar, Kalina, Santa Cruz(East), Munbai-400 098, India
    Tel. 618 1730, 612 7453
会社の名刺は2枚くれて、Asahi Songwon Colors Ltd.という会社と、Audichemという会社両方のBranch Managerになっている。因みにAudichem(India Ltd.)のロゴは車のAudiと似ている。販売代理なぞしている筈はないので、多分パクリだろう。それとも或いは(India Ltd.)となっているから・…。いやそんな筈はない。この2社とも住所は一緒。
5-B, Vulcan Insurance Building, Veer Nariman Road, Chuhrchgate, Bombay-400 020.
Tel. No. 282 9663, 282 9664と電話番号も同じなので、一緒のオフィスだろう。
場所はChurchgateの駅の真ん前という。本当にそうなら、このオヤジは経済的にはかなり成功した人だが・…。本人が言うには、自分は仕事で成功した、海外からの旅行者に親切にするのが趣味だ、ということ。そんなこんなで13:30頃、終点Churchgateに着いたが、迷う。このオヤジがセーフかアウトか。降りたら今度は自分のオフィスに寄っていけと言う。流石にそこまでは危険だと思い、少なくともここまでは“いい人”だから、そのままでいてもらうため、逃げることにする。9割方OKでも、ここはインドだから。で、誘いを断り礼を言って、本来の僕の行き先はオヤジの行く方だったが、「時刻表(Trains at a Glance)を買うから。いろいろと有り難う。」と言って反対方向に見えるインド版キオスクに向かおうとした。そしたらオヤジ、自分が買ってやる、と言って付いて来る。これはまずい、と思って断ったが、結局このオヤジ、自分でズンズン歩いて行って時刻表を買ってしまった。参ったな、と思っているとそれを僕に押し付け、お金を渡そうとしても受け取らない。仕方なく礼だけ言い、まだ案内してくれようとするので「申し訳ないが、バックパッカーは自分の目で道を探して、自分の足で歩いくものだ。本当に有り難いが、また却って申し訳ないが、ここからは独りで行く。」と丁重に断ったところ、「じゃあ、元気でな!日本に戻ったら手紙でも寄越せよ。」とだけ言って、また元の方角に戻って行ってしまった。結局このオヤジ、本当に“いいひと”だった。今回の旅行はこのオヤジといいプラサドといい、本当にいい人たち、今までのインドでは想像も出来ないような人たちとの出会いがある。いい人と出会い、またすぐに別れ、理想的な旅だ。オヤジも南の方の出身だそうだ。南の人たちはいい人が多い。
Mr. Rajamaniと別れ、まず空港までのバスの時間を確かめるためAir Indiaに向かう。リュックを背負っているので、若干ゆっくり目の足取りで30分ほどするとAIのビルがあった。中に入り、バス乗り場の場所と時刻表を確認したい、と言うとなんと、バスは運行されていない、とのこと。バス会社がつぶれた、とかのたまっている。タクシーか電車で行け、という。ここまで来てタクシーなんぞには乗れない。300Rs.を直接換算して1,000円と考えれば、普段日本では荷物なんか無くてもそれくらいの金額でタクシーに乗ることは良くあるし、ましてやリュックなぞ背負っているんだから大した額ではないが、この地で自分が求めている生活からすると、結構大きな額だ。それに電車のあるところをタクシーに乗るというのも抵抗がある。電車で空港の近くまで行き、そこからタクシーかリクシャーを使うことにしよう。
更に30分ほど歩いて、Taj Mahalのビルに入っているCXのオフィスに行く。コーチンでリコンファームした時に、ムンバイ→香港の確認はしたが、香港→東京の確認をするのを忘れた。多分大丈夫と思うが、ここはインドだし、念のため。CXで確認したところ、OKだった。ついでにオフィスのソファで少し休ませてもらう。少ない荷物とは言え、リュック背負って1時間歩いたので幾らか疲れた。ここで座って、地図やLonely Planetを見ながら行き先を考える。この荷物で歩き回るのはちょっときつい。仕方ないのでどこかの安宿に部屋を確保して、シャワーを浴びて荷物置いて散歩でもして、夜になったらChurchgateまで歩いて電車に乗ろう。
CXを出て、Taj Mahalの裏側に廻る。インド一の高級ホテルの裏はColaba地区と言って、ムンバイ一の安宿街。疲れていたのと、どうせ夜までだというので、最初に見たCarlton Hotelの300Rs.の部屋に決める。最初に見た、窓なしTVなしの275Rs.がこの宿では一番安く、相場を見てもこんなもので、半日使うだけだからこれでもいいかと思ったが、洗濯物をもう少し干すつもりだったので一応窓のある部屋を見せてもらった。この部屋がすごくて、狭い部屋の奥にあってここを通らないと出入りできないのだが、この手前の部屋がまた狭く、小さなベッドが一つしかない極小シングル・ルームなのにインド人の家族が3人で泊まっている。大昔カルカッタで逆の立場になった事があったが、これは出入りに気を遣う。角部屋につき風通しが良いのは有り難い。突き当たりの窓の目の前がTaj Mahalの背中になっていて間の道路を通る人や車が良く見える。極めつけは横の窓で、これを開けると前には汚いビルがあり人がいる。これ、よく見ていると娼婦宿。2階の窓に派手目の女の人が数人、結構綺麗なお姉ちゃんもいる。写真撮ったらにらまれたが、結構楽しそうに下の道を見ている。何を面白がっているのか判らないが、皆で下を見てゲラゲラと下卑た笑い声を立てて騒いでいる。このビル、後で周りを歩いてみたが、入口が無かった。人は裏から入るのか、それとも1階のまともそうな店の奥でも出入り口になっているのか。それとも呼ばれて出掛けるのかもしれない。
それにしても本当にムンバイの物価は高い。こんな宿でも、昨日までいたような他の街の10倍近い。何かで読んだが、ムンバイのオフィス街の一等地の賃料は、ニューヨークや東京のそれより高いそうだ。話半分としても、かなり高いのには違いない。こんなぼろ宿、直接換算しても1,000円くらい。これは釜ヶ崎のドヤと変わらないのではないか。数年前で釜ヶ崎の小奇麗なホテルが2,000円だったと思う。部屋の大きさもあまり変わらない。ましてや物価換算すると10,000円位になり、大阪・中津の三井アーバンHよりはるかに高い。当然貧富の差が殊更激しく、スラムの汚さ、凄さも他の街の比ではない。
 
17:40 今、シャワーを浴びてきた。シャワーは、フロントの周りにいくつか小部屋で、トイレと一緒にある。見た目には小奇麗に掃除してあって、トリヴァンドラムのホテルのシャワーより快適そうに見えたが、水の出はコッチの方が悪く、最後には本当にポタポタになってしまった。これでは“シャワーを浴びる“状況になく、トイレ用の水バケツを蛇口の下において水を溜め、それで身体についた泡を少しづつ流して行く。こんなことなら石鹸なんか使うのではなかった。エラク手間がかかる。
どうにか泡を流して部屋に戻り、この後の行動を確認する。空港へは、まずChurchgateまで歩き、電車でAndeliまで行くことにする。そこからはA.リクシャー。空港税がおそらく300Rs.、それとA.リクシャー代で50Rs.位残すことにすると、あと使えるのは360Rs.くらいか。これで夕飯と買い物をしなくてはならない。買い物は特に無いが、飯は気を付けないと。ムンバイは物価が極めて高いから、いい気になって美味いもの珍しいものを食おうとすると、すぐにオーバーする。
19:10  at Mocambo Café
夕方になって外に出た。天気のせいでエレファンタ島に行けなかったので、Mani Bhavanの一個所くらいは観光地に行きたい、と思ったが、18:00までで終わり。諦めざるを得ない。布屋でも探すか。Lonely Planetによると、街の中心部にHandoom Houseがあるらしい。行くことにする。地図を見ながら歩き、それらしい場所に30分位で着く。途中で派手な馬車とすれ違う。周辺を探し回るが、小さな個人商店は沢山あるもののHandloom Houseは見当たらない。近くにある店で一番まともそうな時計屋で聞くと、GPO(General Post Office)の近くに移動したという。GPOのどっちの方か確かめようとしても、近くで聞けば分かる、と繰り返すのみ。仕方なくGPOまでまた歩いて、周りの店のオヤジや通行人に聞き回るが、皆言うことがバラバラで辿り着けない。インドで人に道を聞く時の迷路にはまったと思い、諦める。インド人に道を聞くと、彼らはめったに“知らない”とは言わない。知らなくても知ってるフリをして道を教えてくれる。知らないで言うものだから当然そこには辿り着けない。また違う人に聞くと同じことを繰り返し、段々エスカレートして、そのうちに周りの人を皆、通行人やお巡りさんまで巻き込んで、アッチだコッチだの大騒ぎになる。
買い物は諦めて、飯屋を探すことにした。ムンバイで安くて美味いものは期待できないので迷うが、パールスィー料理があるというので、この店に来た。しかしメニューにはあるものの、今は作っていないという。それがなけりゃこんな店には何の魅力も感じないのだが、他に行くのも面倒なので、Mutton Curry with Rice 40Rs.とCoffee 10Rs.をもらう。特に不味いわけではないが、何の変哲も無いただのマトン・カレーだ。流石に高いが仕方ない、ムンバイにしては安い方だろう。でも店員の態度が悪い。観光客とかビジネス客とかに慣れきって、すれてしまったようだ。この街は何から何まで、快適なものが一つも無い。インドは好きだがムンバイは好きではない。
21:10  Carlton Hotelの自室で
Mocambo Café から歩いて帰ってくる途中、お祭りのようなパレードを何度も見た。今こうして部屋にいても、窓の外の奥の公園の先から聞こえてくる。太鼓をドンドコドンドコ、サンバのリズムのように延々と叩き続け、踊っている奴もいる。10人前後のグループで街中を練り歩いているが、これが何グループもあるようだ。時折、爆竹を鳴らすが、日本のそれの比ではないほど大きな音で、あれは手榴弾かもしれない。
宿には20:00過ぎに帰ってきて、荷物の整理をして一休み。夜まで一眠りしようと思ったが横になっても眠れず、あきらめた。もう少ししたら出ようか。Churchgateまで、雨が降っていなかったら歩いて、降っていたらタクシーで行く。Western Railwayの時刻表でも買って、ゆっくり行こう。少し早いが、AndeliでA.リクシャーを拾ってSahar A.P.まで行ってしまい、居眠りでもしよう。お金が400Rs.ほど余りそうだが、無理に使うこともあるまい。疲れて面倒くさい。土産に煙草でも買うか。それとも国際電話がかけられたら、モモに電話でもするか。04:30頃なら東京は08:00で、丁度起きた頃か。全然連絡していないから、ふくれているだろう。まあ、時差もあってタイミングも悪かったし、大体まともに国際電話かけられる場所が少ないし、あっても高い。仕方ない。
所々、身体がまだ痒い。完全にオイルのせいだ。残りを持って来なくて良かった。成分はわからないけど、あんなの持って日本に帰ったら、空港で捕まってしまうんじゃないか?
22:00  用意ができた。いざ、出発!!!!

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