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自分の身の丈は超えようとせず、身の丈までは常に精一杯。 自分が自分の行動記録的な日記として残しているブログ。 失礼恐縮&無礼勘弁。

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カテゴリー「其のほかの遊び」の記事一覧

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久々の函館~その3

朝、起きて外に出ると非常に良い天気。
 ↓3日目の朝の津軽海峡
3日目の朝の津軽海峡
「かもめ」は良いホテルだった。競売に掛かったという過去を知らなければ尚良かったか。まぁいいだろう。

宿をチェックアウトして、まずは朝飯を食いに朝市に向かった。
駐車場に車を置いて、手前側に並んでいる食堂を見比べて、烏賊が一番元気そうな店に入った。
烏賊刺しを頼んだら、スルメかヤリか聞かれた。ヤリは早いんじゃないの?聞くと、今年は既に上がり始めているらしい。迷ったがスルメにする。それとサンマ丼を頼んで半分ずつ。
 ↓朝市の烏賊刺し
朝市の烏賊刺し
 ↓朝市のサンマ丼
朝市のサンマ丼
烏賊は、あんまり旨くなかった。同じような見かけで何が違うのか判らないが、味が薄い感じ。夕べのとは段違い。その代わりサンマ丼は旨かった。これも寿司屋で食ったらもっと旨いのだろうが。

腹が一杯になったので川汲(カックミ)温泉に行くことにした。
上湯川から山越えの道に入ってしばらく行くと、懐かしい情景。車を停めて中に入ると相変わらずのボロ宿。が、風呂に入ったら中が綺麗になっている。配置などは変わらないが、湯船と床のタイルが綺麗になっている。張り替えたみたい。
 ↓川汲温泉
川汲温泉
久しぶりに良い温泉。

夕方は飛行機に乗る前に晩飯。寿司屋では道南ナンバーワンの『雷門寿司』に行った。
ここも久し振りに行ったら建物が変わっている。建て直し。黒松公園を背にカウンターを作り、背中を窓にしている。カウンターの客から見ると非常に良い借景になっている。流石。
ここでもまずは活烏賊。旨い。以前より旨くなったか。
 ↓「雷門」の烏賊刺し
「雷門」の烏賊刺し

見ていると、昔は若い衆が2,3人いたのが大将夫婦と息子だけでやっている。
板前は息子がほとんど一人でやっていて大将は手伝い。世代交代を上手い具合に図っている。
ここの大将、寿司も良いが経営者としても立派。
たくさん食って大満足。次はいつ来れるかな。
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久々の函館~その2

朝はユックリ寝たが、カーテンが薄くて陽がまぶしくて起きてしまった。こういう所はホテルの方がいい。まだかなり熱っぽい。
元気なら温泉に入りたいところだが諦める
まずは朝飯。ベビーホタテが美味しい。
宿の朝飯
 ↑宿の朝飯

食べ終えてユックリと支度して宿を後にする。
どこに行くか迷ったが、昼飯ついでに八雲のケンタッキーファームに行くことにした。
行ってみると、周辺状況がかなり変わっていた。海から上がる道の右側にあった鶏の放牧場と番犬は跡形も無く、高速道路のインターチャンジみたいになっていた。見に行くと、以前は長万部までしか来ていなかった高速が、間もなく八雲まで延びるようだ。放牧場はその休憩所として整備されていた。
驚きながら道の反対側のレストランに入ると、ここは変わっていなかったが、よく見ると「ケンタッキーフライドチキン」の名前がどこにもない。内容は変わっていないから、或いは別会社にでもしたのか。
よく判らないが、昼飯にする。
ピザとローストチキンとサラダを一つずつ頼んで二人で分けた。結構満足。
昔はよくテラスの客席でカラスに食べ物を持っていかれたが、屋根にテグスを張り巡らせてカラスが近くで待機できないようになっていた。これは正解。
テラスから見下ろす噴火湾の風景は相変わらず爽快。遠くを見ると羊蹄山まで見えた。
八雲ケンタッキーファーム
 ↑八雲ケンタッキーファーム

一休みして函館に向かう。
宿は「かもめ」。大森海岸の浜沿いにある小さなビジネスみたいなホテル。ここ、函館に住んでいたときに元の所有者が破綻して競売にかかっていた。確か金額が3000万円くらいで、仲間内で半分冗談、半分本気で“皆で買って経営しようか”などと話していた。
新たなオーナーは女の人らしいが暫く使っていなかった建物の改修に1500万円くらいかかったらしい。
チェックインして一休みして、晩飯へ。
晩飯は、函館に住んでいたときによく使っていた「いわや」。事前に電話して活烏賊を取っておいてもらった。
店に着いてカウンターの一番右奥に座る。
まずは生ビールを頼んで、活烏賊。相変わらず美味しい。
同じ活烏賊の刺身でも店によって食べさせ方が違う。活烏賊はここが一番美味いと思う。
あとはツブ刺しと、大好物のタコの串焼き。旨い。
「いわや」のツブ貝
 ↑「いわや」のツブ貝

腹一杯になって、向かいのハセストに寄って宿に帰った。

久々の函館~その1

JALのマイルが年末で切れてしまうので、これを使って久々に函館に。
前夜、後輩がシドニーから一時帰国しているので3人で錦糸町で酒を飲んでいた。あまり遅くはならなかったが、若干寝不足。加えて、風邪が治らなくて少し辛い。

朝は5時過ぎに起きて、7:40羽田発の便で函館に9:05、ほぼ時刻表のとおりに到着。
レンタカーを借りて、まずは谷地頭温泉へ。鉄で黒く濁った湯で有名なところ。
ここ、函館に住んでいたときに改修されて綺麗になったが、それまではかなり凄かった。市営の浴場で高齢者は無料。函館はもともと高齢者が多いが、この周辺は特に多くて風呂に来る人も高齢者が多い。その中には半分ボケてしまった人もいて、要するに風呂の中で、本来はトイレで出すものを、出しちゃう。時々それがプカプカ浮いていたそうだ。その話を聞いて、当時はここには来なかった。それが改修されて綺麗になり、高齢者無料の風呂は別になったらしい。今は綺麗だから(たぶん)大丈夫。と思う。
置いといて、とにかく谷地頭温泉に入り、風で熱っぽかったから露天風呂に少しだけ入って出てきた。

引き続き、少し早いが昼飯。11時の開店早々に海岸通の回転すし「函太郎」へ。この時間だと空いていて宜しい。天気がよく、店の前には津軽海峡が広がり、青森もよく見える。
久々の「函太郎」は当初ほどの感動はないが、安くて旨くて満足。

函太郎から見た津軽海峡。向こうに青森が。

函太郎のハマチ

腹は一杯になったが時間があるので朝市に寄ることにする。

朝市の駐車場に車を停めてまずは一周。久しぶりに来たら市場はかなり綺麗になっている。

中に入って梶原昆布店の前に烏賊の釣堀がある。烏賊を1杯釣って捌いてもらって1回1000円。これは楽しそうだ。連れが呆れていたが、挑戦することにした。

朝市の烏賊釣堀

 烏賊を海で釣るときは、エギに烏賊が足で絡み付いて、それを釣る。が、ここでは針で烏賊の耳を引っ掛ける。水風船釣りに近いか。最初、針を烏賊の横から近づけると烏賊は逃げてしまった。で、尖った耳の先の方から近づけると、簡単に引っかかった。これを店の人に渡して少し待っていると烏賊刺しになって戻ってきた。これ、旨い。烏賊釣り、楽しい。

釣った烏賊刺し。

満足した。

が、体調が相変わらず良くないのでそのまま濁川温泉の宿に向かう。
宿は「新栄館」という古いところ。函館に住んでいたときに、このエリアには何度か風呂を入りに来たが、この宿には来た事がなかった。

宿は新館と旧館が繋がっていて、男風呂は旧館、女風呂は新館にある。寝る部屋も新館。
この旧館の風呂が素晴らしかった。

 八雲の宿の風呂

建物はかなりボロボロで傾いている。風呂は石がベースの作りだが、かなり年季が入っていて石がアチコチ削れている。湯も濃く、非常に良い風呂だ。湯はかなり熱いが貸切状態だったので目一杯うめて、好みの“ぬるめ”にして入れた。
残念だったのが、風邪で熱っぽく、あんまりユックリ入れなかったこと。
※ 宿のジイサンと風呂の動画が出てくる。
⇒ http://onsen.u-p.co.jp/get.php?action=get&code=181

晩飯は下の大広間に用意されていた。広間も貸切り。襖を閉めて1/3くらいにはなっているが、それでも広い。
食事は量が程ほどで良かった。最初にビールを頼んだら宿のジイサンが出てきて、かなりキツイ訛りで“お前は酒を呑むのか!”と嬉しそうに奥に消えたと思ったら、濁り酒を持ってきた。自家製のドブロクだと。製造許可は得ていないらしい。が、旨かった。辛口の甘酒の上等なヤツって感じ。

宿の晩飯
飯は山の幸が中心。飯付き旅館は量が多いので基本的に嫌いだが、ここは少なめで宜しい。それでも全部食べたら多すぎたが。



満足して、就寝。

上五島

佐世保まで来た帰り、五島列島へ足を伸ばした。
15日(月)の朝のフェリーで島に渡ってレンタカーを借りて教会巡り。
教会を3ヶ所ほど廻って五島うどんを食い、若松の民宿へ。
海が物凄く綺麗。宿の前で魚釣り。
宿の飯は魚が旨いが量が多すぎる。
こんなに素晴らしいところなら、休みを取ってもっと永く居たかった。

Thailandその5~無事帰国

明け方、朝食で起こされる。一応選べて「オムレツ&ソーセージ」。量も少ないし単なる軽い洋食でつまらん。連れの「あんかけうどん」よりは美味しかったが。

飛行機は無事、朝の6時半少し前に成田に着いた。受け取る荷物もないのですぐに外に出てリムジンバスに乗る。早い時間につき池袋行きはまだなく、7時発の東京駅行き。寝不足だったからバスに乗ったら即、爆睡。気がついたら東京駅。構内に新しく出来た立ち食い蕎麦屋に寄って中途半端だった腹を満たす。

あとは地下鉄で家に向かう。
今回はトラブルが重なった。連れは不安で怖かったようで、プーケットに行けなかったことも無念らしい。が、非常に満足。旅の醍醐味はトラブルと食い物、それと出会った人。久々に“旅”をした気になった。やはり次回はフリーの航空券だけ持ってバックパッキングかな。

今日は一度家に帰ってから昼の便で大阪出張。また飛行機か・・・。

Thailandその4~早や最終日

7時におきて屋台で朝飯を食おうと思って外に出た。とこらが屋台は一軒も開いていない。月曜日は休みなのか。仕方なくホテルに戻ってバイキングの朝飯を食う。この食堂も悪くはないがメニューが西洋式。タイ料理がない。ホタル内にインド料理屋があるからインド式のカレーが2種類あって、これは結構旨い。豆カレーとジャガ芋カレーとあって、芋のほうが旨い。

本日も、まずマッサージ。プロンポンの駅から北東すぐの、ワットポー直営のマッサージ店を地図で見つけて行って見る。昨日見たときはかなり混んでいたから9時過ぎに入る。この辺りは日本人の居住者が多いようだが、この店にも後から日本人の奥さん風がドンドン入ってくる。マッサージはThai-Tradisionalが180Bts/hr.。1時間で600円くらい。連れは足のマッサージで250Bts/hr.。時間がなかったので1時間にしたが非常に上手くて良かった。強めを希望したらデカイ男のマッサージ師で、機会あればまたお願いしたい。

ワット・ポー・マッサージから出て、路地の入り口の本屋の前の半屋台のような店で早めの昼飯にする。豚足の煮込み載せ飯が30Bts×2、Mixedソムタムが30Brsで90Bts。これもまた美味かった。メニューが色々とあるようなので、また来たい。向かいの屋台のカオマンガイも美味そうだった。

今日は月曜。国王の色の黄色いシャツを着ている人が多い。あと今日に限らず、相変わらず年配の白人がタイ人の若い娘のカップルが多い。

一休み。スクンビットのExchange Towerという大きなビルの1・2階に飲食店などが入っているが、そこにあるスタバに入る。日本のスタバではタゾ・チャイ・ティーしか飲まないので同じモノを頼んでみたらタダの薄い紅茶だった。これで80Btsはガッカリ。

前にバンコクに来たときにスクンビットの南側にある「アジアン・ハーバル・アソシエーション」というスパに行った。「ラバナ」よりも安くって悪くなかったが日本人で混んでいて閉口した覚えがある。地図を見ていたら同じ店の支店がスクンビットの北側にある。これはネットなどでも引っかからないから穴場と思って行ってみることにした。Trad,、Oil、などを組み合わせて2時間半くらいのコースにして受けたが、結構良かった。二人で2950Btsで、後でクレジットのレシートを見たら9489円だった。

夕方、飛行場に行くまでに時間があるので軽く晩飯を食うことにする。連れが以前に行って良かったという水槽のある中華系タイ料理屋と迷ったが、宿の近くの最初に入った食堂に決定。空芯菜Morning Gloryは何度も食ったので「Water Mimosaのガーリック&チリ炒め」と、「スズキのガーリック&ビーンズソース蒸し」を貰う。白飯を持って来ようとしたが機内食に備えて断ったら驚いていた。白飯は必ず食べるもののようだ。料理は美味かったが、蒸しスズキはソースがサッパリ薄味で魚の臭さが気になった。汽水域の魚は濃いソースにするべきだ。

ホテルに戻って預けていた荷物を受け取り、いよいよ帰国の途に就くことにする。
連れがトイレに行ってるのを待つ間、ホテルのコンシェルジュのオッサンと立ち話をして、メータータクシーで空港までの金額を聞くと“270~80くらいかなぁ”と自信なさげに言う。参考にならないかもしれないと思いながら礼を言う。因みにホテルの表の道路で客引きをしている車には350Btsと書いてある。

連れがトイレから戻り、タクシー乗り場でメータータクシーを呼んでもらう。ここを仕切っているような態度の大きいが体の小さいオバサンコンシェルジュに値段の目安を聞くと、“空港まではハイウェイを使ったほうがいい。が、高速料金が最低でも75Bts、もっと曜日によってはもっと高いかもしれない。良かったら400Btsで行くように運チャンに言うが”と。大して額ではないし面倒なので了解したところ、オバコンが車を選び始める。“安心できる車を掴まえる”と言って、ホテルに入ってくるタクシーを2台くらい追い返したあとに入ってきた1台を停める。
これに乗ってホテルを出ようとしたところ、それまで色々とネット情報のコピーを見ていた連れが“400Btsは高いよ。高速を使っても250Btsくらいって書いてある!”と。
見ている情報はせいぜい半年前。最近のオイル高を考えるとそんなに高い金額とは思わなかったが、旅に交渉は付き物。運チャンに“400Btsは高いようだ。メーターで行ってもらえないか?”と聞いたところ、この運チャン、少し乱暴な言い方で“空港までなら700Btsだ”などと言う。少し腹が立って“空港までは270Btsくらいだろう。それなら350Btsだ。”と声を荒げると、“判った判った”と妙にアッサリ引き下がる。まぁいいかと思って、あとは外を眺めながら車に任せる。
だが運チャン、不機嫌そうにしている。運転も乱暴で急ハンドルや急ブレーキを繰り返す。途中で“国際空港だぞ。タイエア。”と話しかけると“判ってるよっ!”と口調も乱暴。連れが少し怖がっているから、運チャンに聞こえるように英語も交えて“事故が起きたら運転手の責任。客は大丈夫。”と言い聞かせる。
途中で高速の料金所で2回、停まった。1回目は料金所のメーターに「45」と出た。2回目は料金所メーターはなかったが、運チャンが20Btsを払っていた。要するに高速代は65Bts。
空港が見えてきて財布を出して払うお金を用意する。350Btsと言ったが、最初にホテルのオバコンが400と伝えてこともあるし、チップを含めて380Btsを出して渡す準備をする。
タクシーは空港の出発エリアへの路を進んでいく。車の乗降フロアが見えて、その一番手前にタイエアのマークが見える。しかしタクシーはそこを通り越して、エリア反対側の誰もいないところに停まった。
メーターは「275」だ。高速代を足すと345Bts。350というのが良い数字だった。
ここで運チャンに礼を言って380Btsを渡そうとしたところだった。運チャンが金をチラリと見て急に騒ぎ出した。“ノーノー!”と言って金を受け取らない。700Btsだ、そんな金じゃダメだ!と言う。
面倒な奴だな、と思いながら“お前は高速代込み350Btsで了解したぞ。それにチップを加えて380Btsやろうってんじゃぁないか”と言うと運チャン、また金を見て少し躊躇したようだが、また騒ぎ出す。ラチがあかない。“ならば500で勘弁してやる”とか言っている。“何言ってんだ、350だ。”と繰り返すと今度は“警察を呼ぶぞ!”と。
見ると、その間にタクシーのメーターが277の上がっている。こいつ、メーターを止めていない。ひとまずメーターを止めさせて、説明をしてやる。“メーターは277、途中で高速代が45に20で65。342Btsだろう。それでも350で約束して、さらにチップを乗せて380払ってやろうって言ってんだぞ。”
この運チャン、ボッタクリの基本的なコースを教わっているんだろうが、あまり頭が良くない。応用が利いていない。こっちが数字を紙に書いて説明をすると、それを聞いている。納得しかける。それを慌てて自分で否定して騒いでいる。“そんな金でやってられるか”とか“高速代は85だ”とか騒いで最後はまた“警察を呼ぶぞ!”と。“高速代をお前が言うとおりの85としても合計で362。380やろうって言ってるのに。それで嫌なら警察を呼んだらいい。”と言っても大声で騒いでいるだけ。騒ぐついでにメーターを消しやがった。
そうしているうちの連れが空港のオマワリさんを呼んできた。運チャン、オマワリさんに“こいつらは悪い奴だ、金を払わない!”と訴えてる。オマワリさんが困った顔をする。こっちからメモを見せながら、“メーターで277だった。これに高速代が45+20で65。それを350って約束して380も払ってやろうって言ってるのに、こいつは空港に着いた途端に700だとか500だとか言って騒いでいる。高速代も85だとっ!”と説明したら、オマワリさんも運チャンに“この客の言うとおり。高速代も65だ。お前は変なコト言うんじゃない。”と。
運チャン、渋々“わかった”と。そこでオマワリさんは戻っていた。が、改めて金を払うときにチップはやらないことにして350渡したら、運チャン今度は“380だぁ~っ”と騒いでオマワリさんを呼び戻す。オマワリさんの前で“お前は嘘ついたからチップはやらん。メーターより少し多い350だけやる。”と言ってオマワリさんも“仕方ない”というようなことを言ったらやっと諦めて350Btsを受け取り、“わかったよチクショー、あっち行けっ!”みたいなことを言って、自分の車に戻っていった。

まぁメーター分は払っているから構わないのだが、こういう人たちは外人観光客からのチップをアテにしているところも多いから少し可愛そうか。でも今回は仕方ない。わざと乱暴な運転したり空港の隅に連れて行ったり急に大声を出したり警察を呼ぶフリしたり、ボッタクリの基本テクニックのフルコースだが余りに単純。途中で謝れば30Btsのチップのあげたのに。やり方も下手糞。かなり怒鳴り散らして脅かしている積りなんだろうが、なんか怖くない。底が見えている感じ。子供のときに苛められていたのかもしれない。
あと運チャン、頑張って運転してかなり飛ばした。脅かす積りだったんだろうが、ホテルから空港まで通常は1時間くらい。それを40分で来てしまった。メーターで乗るとわざとユックリ走ったり遠回りするから時間は多めにかかる。急ぐなら交渉して定額にすることになるが、それだと割高にされる。結果として時間も早く値段も安く乗れて、若干の不愉快さを除けば素晴らしいタクシーだった。これも、少しアホな運チャンとグルだったホテルのオバコンのお陰か。

まぁいいとして、空港に入ってチェックイン。タクシーはホテルから1時間のところを40分で走ったが、着いてから20分ほど揉めていたから結局は予定通りの20時にカウンターに入った。帰りも預ける荷物はないのですぐに入り、中のジム・トンプソンの店に寄ってからラウンジで時間を潰す。
飛行機は22:10発のTAG640便。時間が来て飛行機に乗ると、座席が素晴らしい。同じビジネスでも往きより新しく格段に良いシート。

離陸して飛行機が落着いたら飯が出てきた。ソーセージに和食の練り物とチョコ。要するに“夜食”。あれ、これだけ?せっかく夕方の食堂での白飯を断って、空港でもクーポン食堂に入りたかったのを我慢して空腹で乗り込んで、ガッカリ。足らないのでインスタント・ヌードルを貰って連れと半分分けした。腹は一杯になったが少し不満のまま消灯。寝心地は宜しい。

Thailandその3~極めて順調

朝はホテルで8時に朝飯。ここもバイキングだがタイ料理はなくて寂しい。軽めに済ませてホテルの前の道の屋台で汁麺を食う。インスタントの縮れ麺を選択。連れはオーソドックスなビーフンみたいな麺。チキンスープが旨くて胃にも優しい感じ。1杯40Bts。140円くらい。大満足。

ブラブラしながらプロンポン駅前のエンポリウムに向かってネットカフェに入る。なにせバンコクの情報は何も持ってきていない。飯屋とかマッサージ屋とか、朝起きたら、まずは行くところを探さなくてはならない。PCを1台、30分ほど使って80Bts。300円弱。

昼飯は宿の裏側、東側の通りの屋台でカオマンガイを食べた。冬瓜入りのスープ付きでひとつ25Bts、90円くらいととても安く、とても旨い。これは嬉しかった。そのまま「ハタサット2」というローカルマッサージ屋に行って、なるべく指圧っぽく、出来るだけ強くマッサージをしてもらう。「トラディショナル・マッサージ」というメニューになって2時間で300Bts、1000円強。やってくれたのは太ったオバサン。かなり一生懸命にやってくれて体が喜んでいたが、オバサンはかなり無理したようで、終わったらかなり疲れていてチップをあげても表情が強張ったままだった。ありがとう。

ひとまず宿に戻ることにする。スクンビットのロビンソンデパートに寄って館内検索し、コンビニでビールを買って部屋に戻って一休み。部屋から下を見下ろすとプールで外人が日向ぼっこしている。少しリゾートっぽい部屋で宜しい。これで2泊で5600Bts、1泊あたり9000円チョット。安かった。

晩飯はプロンポンから南に下がったところにある「シーフード・マーケット」Soi24、tel.0-2662-1252~9へ行った。ここは体育館のような広い店で、まずテーブルを確保してから食材を選ぶ。でかいスーパーの生鮮食品売り場みたいなところで店員がカーゴを引いて付いて来て魚や野菜の解説をしてくれる。一通りの食材を買ってひとまず精算。買ったのは、40cmくらいのハタ1匹355Bts、これは蒸してもらう。ムール貝10個252Bts、タイ式に蒸してもらう。これ、ムール貝と書いてあるがタイの貝で普通のムール貝とは貝殻の逆に位置に蝶番が付いている。蟹の剥き身58Bts。プッポンパーカレーを食いたいが蟹の殻が邪魔なので。あと空芯菜1把90Bts。これで食材は確定。ひとまずレジで精算する。755Bts。2500円くらいか。
テーブルに戻るとウェイターみたいな人が来て、買った食材の調理方法を確認する。空芯菜はニンニク炒めで頼んだ。
次は飲み物、シンハービールを頼む。大瓶1本、小瓶1本のあとでワインにしようと思ったら、これもワインセラーに選びに行く。連れに行ってもらったら、これもレジで精算だった。「Blue Monn Vally」という白で690Bts。2200円くらいか。悪くないが、ワインは少し高いかな。
じきに料理が出てくる。ハタ、ヒレの周りがプルプルしていてこれは旨い。
腹一杯になって酔ってご機嫌になって、最後に調理代を精算。700Bts、2300円くらいだった。
大満足。

後で聞いたらウチの連れ、昨日の朝、外に出る時に部屋に置いた旅行鞄の中にお金を入れておいて、帰ってきたらなくなっていて取られたそうだ。6000Bts.、2万円くらい。これは大きい。何重にも袋に入れて隠した積もりだったようだが、鍵もかけずに取られても文句は言えない。基本的な油断。で、それはいいとして、可笑しかったのはその後。中身を取られた袋をもう一度、鞄の同じ位置に入れて、その中に“お金を返してください。日本に帰れません。”と手紙を入れたそうだ。それを帰ってきて見たら、手紙がクシャクシャになっていたらしい。連れ、“取った人に気が付いたことがバレてしまった。仕返しに来るかもしれない。殺されたらどうしよう!”と、本気でビビッていたそうだ。
まぁ、それはそれで呑気なもんだ…。あんまり面白がるとベソかくから黙っているが。

Thailandその2~行き先変更

朝は6時過ぎに(東京は8時過ぎ。時差2時間。)起きてまず飯。朝飯もバイキングだったがタイスタイルの汁麺があったので嬉しい。
身支度をしてチェック・アウト。夕べの酒代を精算したら1930Bts。6000円強。少し飲みすぎ。

送迎バスに乗って空港へ行くもプーケット空港の状況は変わらず、閉鎖されたまま。連れはまたもや泣きそうだが諦めてバンコクに滞在することにする。
まずは市内に行かなくてはならない。市内へのバス乗り場のインフォで地図を手に入れて、スクンビットを目指すことにする。スクンビット行きのエアポート・エクスプレス、要するにAPリムジンの「AE3」というバスを30分ほど待って乗ったら貸切。が、シーロム行きのバスがすぐに出たから、これに乗って地下鉄に乗り換えればもっと早くスクンビットに着けた。少し失敗。

昼少し前にスクンビットに着き、日本語の話せる人のいる旅行代理店を探す。これはプーケットの旅行代理店に電話で教えてもらった。場所が判り辛いようなことを言われたが、グランドミレニアムという大きなホテルの近くですぐに発見。ここでホテルを紹介してもらう。スクンビット周辺で1泊3000Btsくらい、と指定したら幾つか候補を見せてくれた中から「レンブラント・ホテル Rembrandt Hotel」という宿に決める。2泊で5600Bts。お金も払ってバウチャーにしてもらう。

大通りから横道に入って5分ほど歩いたところにレンブラントはあった。結構大きくて立派なホテル。チェックインして部屋に案内されると部屋も非常に宜しい。快適そうだ。案内してくれたアテンダントはタイ人の若い女の子で、日本語を勉強しているらしい。会話に出てくる単語を“それは日本語ではなんと言うのか”と聞いてくる。判る範囲で教えてあげて国際協力。

部屋に荷物を置いて外に出る。ますは昼飯。宿の近くのローカル食堂に入ってみる。シーフード餡かけ幅広麺と海老バジル飯、野菜炒めにチャーン・ビールの大瓶2本で305Bts。1000円ちょっとか。少し辛くて汗がダラダラ出るが旨い。満足。

腹が一杯になったここはタイ、次はマッサージ。ローカルマッサージとスパと両方行く積りだが、ひとまず前に行ってそこそこだった「LAVANA」というスパに行ってみることにした。ホテルの近くで、去年いったときはオープンして間もなく、客は少なかったが一生懸命にマッサージをしてくれて良かった覚えがある。
店はすぐに見つかった。が、去年と人の感じが違う。翌日のスパの予約をして今日はトラディショナル・マッサージを受けることにした。60分で450Bts。こういう店は高い。
マッサージは強めに頼んだ。強くやってくれた。下手ではない。が、かなり雑。これは如何か。去年も強かったがもう少し丁寧だった。連れも泣きそうになっている。これは勘弁。店を出てから翌日のスパの予約をキャンセルした。

プロンポンの駅前に「エンポリウム」という大きなショッピング・コンプレクスビルがあって、ここで情報収集することにした。ネットカフェや日本系の大きな本屋などが集まっていて便利。
ネットカフェや本屋のあるフロアにスポーツショップがあって、ここにドイターのリュックが色々と置いてある。値段は日本の7掛けくらい。35リットルくらいのを一つ欲しくて悩んだが止めた。これは後で後悔した。

晩はシーフード。「ジェーゴー Je Ngor」スクンビットのsoi20、tel.0-2258-8009~9という店をネットで探して行ってみる。レンブラントの東側の裏通りを南に10分ほど歩いたところにあった。あまり便利な場所ではないがジモティにも人気らしい。
中に入ると結構大きな店だが混んでいる。奥の壁際の席に案内されて座り、まずシンハービールの大瓶を頼む。それを呑みながら色々と注文。
まずは「Spring Roll」120Bts。これは普通の春巻と違って魚やエビのすり身がたっぷり入っていてとても旨い。
「Fried Duck's Tongue」120Bts。アヒルの舌に下味をつけて揚げたのかな。見た目は」「世界のヤマチャン」の手羽先みたいな感じ。1本ずつ齧るのだがビールに合う。アヒルの舌には軟骨のような芯があることを始めて知った。
「Stir-fried Morning Glory」100Bts。要は「空芯菜炒め」なのだが、空芯菜を細く裂いて炒めてあって口当たりが柔らかくて非常に旨い。
「Stir-fried Mantis Shrimp with chopped Garic & Pepper」が100gあたり140Btsで960Bts。「蝦蛄の大蒜炒め」なのだが、蝦蛄が馬鹿デカイ。これを大量の大蒜で炒めてある。食うと肉がジューシーで甘い。これはまた旨い。
「Stir-fried Crab」が100gあたり100Btsで1120Bts。炒めた馬鹿デカイ蟹の爪を喰う。これも旨かった。あとは小さな白飯を貰って、ワインを途中で1本飲んで、〆て3000Bts。1万円くらい。
これは素晴らしかった。
席が厨房への出入口の近くで従業員がよく通るところで、チップ目当てに代わりバンコに面倒を見に来るのが少し煩かったが、不快という程ではなく問題なし。
とにかく食い物が旨くて、是非ともまた来たいと思う店だった。

部屋に戻ると窓の外の暗い中、下にライトアップされたプールが浮かび上がって非常に綺麗だった。

Thailandその1~Phuket空港閉鎖!

東京駅8時の成田エクスプレスで成田へ向かう。飛行機は11時発のタイ航空TG641。第1ターミナル南ウイングから出発。今回は贅沢してビジネスクラス。成田空港へは9時過ぎに着き、チェックインしてTGのラウンジへ。


飛行機は無事に11時過ぎに離陸。じきに落ち着いて、食事の前にまずワインと暖かいオツマミで「オクラの磯部揚げ」と「チーズ春巻」の小さいのが小皿で出された。美味しい。
引き続き、食事。最初に前菜で「ミニ・ロブスター・サラダ」「イクラ」「鴨のロースト」「太巻」に「ミックス・グリーン・サラダ」。引き続き選択制のメインで「ラム・メダリオン・ステーキ」。ラム肉を焼いてトロミがかったソースをかけてある。このラムは硬くってあまり旨くなかったが、肉に下に敷いてある「ジャガ芋と葱のグラタン」の芋のスライスがソース染みていて旨かった。連れは「海老と帆立のブラックビーンズソース・青菜と椎茸入り炒め麺」要するに海鮮焼ソバを頼んだが、こっちはあんまり旨くなかった。

ほぼ予定通り15時半バンコクのスワンナプーム国際空港へ到着。この空港は2年前の9月にオープンした新しい空港で成田APの3倍あるそうだ。元のドンムアン空港は国内線専用となったらしい。
プーケットへの乗継便は18:20発。2時間以上あるから空港の中をブラつくが内側には土産物屋しかない。つまらんのでTGのラウンジでボーッとすることにした。このラウンジには酒がない。仕方なくレモングラスのジュースとか生姜のジュースを飲んでみる。不味くはないが甘すぎる・・・。

そう言えば数日前、NHKニュースでバンコクのデモのことを流していた。今の首相は追い出されたタクシン元首相の手下で、その政権に反対するPADという連中が首相府を占拠した、というもの。タイでは穏やかな内乱が良くあるので安心していたが、ラウンジで働いている連中がテレビのニュースを一生懸命に見ていて若干の不安を感じる。プーケット行きの便は18:20出発予定だが、17時半頃に念のためカウンターで確認したら、なんとプーケットなどの地方4空港でPADに同調する人たちが終結して、今日の昼過ぎに空港を閉鎖してしまったらしい。
ひとまずプーケット行きの飛行機は止まっている。でも情報が全くない。アテンダントに聞いても何も判らない。じきに出発予定を過ぎても状況は変わらない。途中で一度、閉鎖解除の情報も流れたが嘘だった。19時くらいになって“本日は欠航。近くのホテルへ連れて行くから。”との案内があった。仕方なくプーケットの宿に電話をしてキャンセル。

結局エアポートホテルになっているノボテルにチェックインして部屋に入れたのは20時。このホテル、TGが言うには五つ星。それには少し足らないが快適で満足。空港閉鎖で泣きそうになっていた連れも、部屋を見てご機嫌。単純。
TGでミールクーポンもくれたので早速ロビー横のレストランへ行く。飯はバイキングだがタイ料理はなくて洋食系。少しガッカリだが仕方ない。酒は自己負担だが疲れているからガボガボ飲んだら酒代だけで6000円ほどになってしまった。
じきに酔って、部屋に戻って就寝。
明日もプーケットは厳しいと思う。朝の状況次第だが、まずは空港に戻ってから考えよう。

スキー塾@上越国際

土日で上毛高原スキー場へ。
もともとウチのI親分のスキー塾が先週あって僕も行くことになっていたのだが、東京マラソンで行けなかった。で、人の都合を勝手に決めてたI親分が気にしてくれて、翌週にミニスキー塾を組んだ。が、先週のスキー塾で親分が骨折、戦線離脱。一時は今週のスキーはボヤシかと思ったが、他の人たちは行きたいと言うもんで決行。
行ったら行ったで、土曜のゲレンデはベチャベチャでひどい。途中から雪が降ってきて“明日は期待できる”と思ったら、日曜もひたすら降り続けて、さらには日本中が大荒れの天気の中で吹雪の一日だった。帰りも新幹線が止まっていて、結局東京に帰れたのは1時間半遅れ。
なかなか大変なスキー塾だった。
因みにI親分、70歳過ぎてもスタミナ充分で、去年のスキー塾ではほとんど休憩を取らずにリフト運行時間の最初から最後まで滑り続け、学生時代に競技スキーをやっていた人たちが終盤は付いて行かなくてバテてた。恐るべし老人。

ばん馬

帯広に行ってきた。26(土)、27(日)はサホロでスキー。あまり大きなスキー場ではなくて、飲食店も少ない。ほとんどの客はサホロリゾートとクラブメッド。そんな高いところには泊まれないので近くのペンションを確保したら、ここが良かった。風呂はユニットだが飯がいい。羊料理がメインで、料理自体が非常に美味い。
ゲレンデはあまり大きくなく、函館七飯くらいか。その割りに急な斜面が多く、さらに土曜日はガリガリで辛かった。気温が最高でマイナス7,8度、最低はマイナス20度近いこの場所だと雪も融けはしないのだろうが、最近は余り降っていなかったようで雪が固まっている。しかし晩から粉雪がチラチラ降ったおかげで日曜にはパウダー。前日とは打って変わり、これは良いゲレンデでした。
28日の月曜日、始めての「ばんえい競馬」。朝飯を食ってから新得駅から電車に乗って帯広競馬場に向かい、1レースから。2レースで枠と馬番を買い間違えたらこれが2,290円つい。結果、これで救われてプラスで終了。飛行機の時間があるので3レースで止めて帯広駅構内の「桔梗」で豚丼と十割ざるのセットと焼酎のそば湯割りで昼飯。ウマイ。酩酊したところで十勝帯広空港に向かい、帰京。
日頃の精進の賜物で天気にも恵まれ、良い旅でした。

南インド紀行(’98.8.22~29)その6

8月28日(Fri.)
00:03  Sahar A.P.
僕の乗る飛行機CX750は、dep.05:00の予定で、baggage screenigは02:30から。それまでの2時間半、ひたすら待つしかない。
今回のたび、最後までインドは僕に優しい。お金を無理に使いきることはないと、また最後にも万が一があるかとも思い、350Rs.ほど残しておいたが、大正解。300Rs.だったA.P. Taxが500Rs.に値上がりしていて、あやうく払えないところを助かった。これで残金も150Rs.ほどになり、まァこんなものか。
Carlton HotelからChurchgateまでは結局歩き、20分ほどで着いた。売店でWestern Railwayの”Local time Table” 15Rs.と、ムンバイの”Suburban Time Table” 3Rs.を買ってから切符売場へ行き、Andeliまでの切符を買う。5Rs.。10分ほど待って、22:35 Churchgate発の電車に乗る。“準急”という感じ。時刻表でそれらしい電車を見つけ、照らし合わせながら進む。道すがら、周りのおじさんたちが話し掛けてきて、“どこへ行くのか?”“Andeli”“あと3駅だ”という感じで教えてくれる。例の如く間違いも沢山教えてくれるが、最後に正しいことを教えてくれた(こっちは時刻表で見ているので、本当は問題なし。)オジサンはAndeliで一緒に降りて、反対側のホームの空港側の出口へ行く階段も教えてくれて、たまたま同じ所で降りたのかと思いきや、また同じ電車に飛び乗っていった。わざわざ僕のために、せっかく座れていた席も捨てて教えるためだけに降りてくれたのであった。Churchgateを出た時には空いていた電車だったが、Andeli近くに来た時には席は全て埋まっていて立っている人もいたほどだから、とても申し訳ないことをした。有り難や。今回はつくづく、会う人に恵まれていると思う。
23:00過ぎにAndeliの改札を出て、少し歩いてA.Rickshawを見つけ、空港に向かう。最初に声をかけた運ちゃんはSahar A.P.と言ったら嫌な顔をしたのですぐに離れ、慌てて追っかけてくるのを無視して違う車に声をかける。すぐにOK。途中、大きな道路が交わっている交差点で、ものすごい渋滞が発生していた。大型のバスやトラックからA.Rickshawまで、皆勝手に交差点にドンドン突っ込んで行くから、全然動かない。その上お巡りさんやら、我慢が出来なくなって降りてきたドライバーやらが車の間に立って言い合いを始めるから、こりゃどうにもならない。インドは最後までインド。下手な映画より面白い。
道路を走るたびに感じていたことだが、普通に流れている時には皆異常に飛ばし、とにかく先に出ようとするが、道の凸凹した所(日本のそれの比ではない。)に来ると同じように急ブレーキをかけて乗り越えたり迂回したりして、まるで運動会の障害物競走を見ているようだ。
空港には23:30丁度に着いた。電車の中の親切オジサンが、空港までは約15分、30Rs.くらい、深夜料金はまだかからないから注意しろ、と教えてくれたが、ほぼその通りだった。メーターで3.4Rs.、これをtariffで照らすと23.80Rs.。一生懸命走ってくれて料金も正直に言って、良い運ちゃんだったので26Rs.あげた。そのまま空港に入り、あとはひたすら待つ。身体がまだ痒い。これ以外は、今回は体調も非常に良かった。ペースもディープさも無理せず、のんびり行ったのが正解だった。小梅を持って行ったのも正解。手軽で良い。梅エキスは次回はチューブに入れて持って行こう。
 
04:22  boarding gate
やっと。02:30までは椅子に座ってウトウトしていたが、そのうちにウナ・コーワが無くなってしまったので、空港内の薬屋で痒み止め(と思われる薬)を買った。40Rs.。なんと高い。水も買って、こちらは30rs.。街で売っているボトルに書いてある、“Maxim Price 12Rs.”とかは消してある。02:30からは手続きを始め、ようやく今に至る。空港税を払うためにお金を残しておいたのだが、これはチケットに含まれていた。そう言えば、“インド・香港税金”という明細が有ったっけ。油断した。でもお陰で、マリちゃんとこへの土産を買うことが出来た。つまらないものだが、前に行った、デリーの紅茶屋の紅茶。580Rs.!!でもこれで電話を掛けられなくなってしまった。残金は69.40Rs.しか無いが、ISDは1分につき72Rs.。コレクト・コールはここからは掛けられない。コーヒーにも足らず、中途半端に余ってしまった。空港内でもコーヒー売りが徘徊している。電車の中でもそうだったが、南インドでは“チャイ、チャイ”と言ってミルク・コーヒーを売っている。“チャイ”とはミルク・ティー限定と思っていたのだが。
ここの空港内のトイレは、男性小用便器の位置が異常に高い。僕でギリギリ。府中のお父さんでは使えないだろう。
空港の放送で、僕らが乗る飛行機のエンジンの調子が悪かった、とか言ってたが、05:30頃になってようやく機内に入る。自分の席に座ったら急に眠くなってきた。この時間までまともに寝ていなかったせいか、物凄く眠い。このまま寝る。
 
07:30  1時間ほど熟睡したようで、目が覚めると朝食が配られている所だった。今頃どの辺を飛んでいるのか、と思って窓の外を見ると、なんと飛行機は飛んでいない。地上にいる。Attendantに聞くと、まだエンジンが直らず、飛べていないそうだ。飯の注文を聞かれ、Veg.を選ぶ。Prasadoの影響でもないだろうが、身体がVegitarianになっている。肉が重く、豆や野菜が心地よい。
07:45 機内アナウンス。エンジンが直らないので、ひとまず用意したホテルに行くようにしろ、と。出発予定は夕方の18:00だと!!!! このあと、外に出る際にパスポートを預けさせられる。この件で皆かなり揉めている。他国の地に身分証明なく立つことにかなりの不安を覚えているようだが、これは国境を身近に知らない日本人には理解できないと思う。あちこちで空港の職員と言い合いになっている。こんなとき、個人の1対1のトラブルだと自分のペースで話せば云いからどうにかなるが、今は皆が早口で、時には怒鳴りあっているのを聞いて理解したり情報にしたりしなくてはならないので辛い。このペースだとほとんど分からない。近くにいる白人のアベックに時々確認して、教えてもらう。現時点での話だと、香港到着は明朝6時頃になりそうだ。
1時間ほどの大騒ぎの後、CXで用意したホテルに向かう。皆まだごちゃごちゃしているが、話の早いインド人の夫婦に着いてきた。この旦那、小柄だが明るくてパワフルで話が早く、見ているこっちも元気が出てくる。パニック・ヒーローのタイプ。
連れて行かれたのは、空港からも見える”The Leela Hotel”。あまり聞いたことのない名前だが、かなり良いクラスのホテル。皆より先に出て来たので、すぐにチェックインできた。部屋は233号室。部屋に荷物を置いてから、ホテルの下のショッピング・エリアに行く。着ている物がかなり汚くて臭いので、とにかくシャツでも手に入れないと。しかしこんな立派なホテルの中に入っている店は高級店ばかりだろう。何軒か覗いた中で一番安そうなのが“ベネトン”だった。こういうブランド物は今迄買ったことないが仕方が無い。中でも一番安そうなのを選ぶ。デニムのワークシャツ849Rs.と柿色のTシャツ199Rs.を買う。「こんな高い物!」と悩みながら、余っていたルピーと残りはカードで支払い、部屋に戻る。身につけていた汚いワークシャツとTシャツ、それに靴下を洗濯する。特にワークシャツは汚く、臭い。飛行機の中や空港で周りにいた人たちに申し訳なく思う。こんなの、少しくらい洗ってもどうにもならないと思う。洗面台に湯を張って、ちょっとゆすいだだけで湯が茶色くなる。二度と着たくないと思いながら更に洗う。まあ、こんな立派なホテルだから、部屋の中に吊るしておけば夕方には持ち歩ける程度には乾くだろう。
洗濯を終えて、バスタブに熱い湯を張って浸かる。湯が体に染みる。1週間ぶりのお湯だ。感動する。あー気持ちいい。湯に浸かりながら考えたが、さっきのベネトンのシャツ、安い。貧乏旅行者にはかなり高価だが、単純に日本円に換算してみるとワークシャツが2,900円ほど、Tシャツは700円しない。こりゃあ安いや。日本で買ったらどの位の物か知らんが、あとでもう一度行ってモモの土産シャツでも買ってこよう。次回来ることがあったら、もう一つリュックを背負ってきて、帰りに沢山買って帰ろう。
風呂から出て香港のまりちゃんに電話をかけるが留守のようだ。留守電らしきチャイニーズの音楽が流れる。仕方なく日本の親にかける。元気だと伝え、時差とかあるのでモモになかなかかけられないので、元気だという伝言を頼む。そろそろ昼飯の時間だが、寝よう。夕方もどうなるのかわからないから、寝られる時に寝ておかないと。
16時頃目が覚める。もう一度香港に電話したら、いたいた。まりちゃんに状況を説明し、予定通り行けないことを謝る。今の様子では香港に着くのは明朝6時すぎ。着いたら空港から電話すると伝える。声は変わらないが、喋り方が普通の大人になっている。当たり前か。
新しいシャツを着て、それが入っていたベネトンのビニール袋に洗濯物を入れる。靴下はまだ湿っているが、問題ない。そのうち乾くから、そのまま穿いていく。身支度をして1630頃、もう一度下へ降りてベネトン・ショップへ行く。買ったデニムのシャツが気に入ったので、モモにも同じ物を買おうと思ったがサイズが無く、違うデザインのにする。淡いグリーンの、モモの趣味はこっちか。749Rs.。
部屋に戻って荷物を取り、Check Outする。電話代だけ精算。HKへ3回、そのうち2回は留守電で切ってしまったから数秒のみ、あとは東京へ2分半と新潟のマルコーインに6分強、計10’42”で1,977.36Rs.。とても高い。空港のISDより倍以上する。当然これもカード払い。
フロントで、朝空港で見かけたインド人の大柄のおじさんを見つけて状況を聞くと、“1100にエンジンの修理が終わったことは確認した。でもクルーが寝ちゃったようで、出発は夕方になりそうだ。今度こそ大丈夫だろう。”とのこと。ほっとする。この夫婦がもう空港に行くというので、一緒にバスに乗ってAPへ。APにはまだそれらしい人達はいなかったが、このおじさんがcheck in counterの奥へドンドン入っていってCXのattendantをつかまえ、いろいろと話をしている。結局奥の小部屋に案内され、ここで待て、ということに。入った時には分からなかったが、様子を見ているとこの部屋、business class用のラウンジで、この夫婦に付いてきて一緒に入ってしまっただけの僕は本当は出なくてはならないのだが、このおじさんも“黙って座ってりゃァわかんないよ。”と笑っている。Lucky!またもや、人に恵まれたようだ。
今18:10。このラウンジに来て、もう1時間たった。夕方なのに、昨夜はずっと起きていて昼間寝ていたから、身体は現在を朝だと認識しているようだ。ラウンジの中にボーイさんが入ってきて、客に飲み物の注文を聞いている。僕はコーヒーを頼む。
19:40。事態悪化。1845頃、ラウンジにいるのも飽きたしflightは19:00予定なのにいまだ何の動きも無いので、様子を見にカウンターへ行った。そしたらやはり、飛行機が駄目かもしれない、と。皆かなり焦っていて、CXは若い白人のattenndantが一人で受けているが、かなり揉めている。近くの人に聞くと、“飛ぶあてがないから、皆各自で自分のflightの手配をした方がいい。”などど言っている。かなり厳しい状況。聞いていると、皆でたかって寄ってたかってattendantを責めていて、“とにかく飛行機を飛ばせ”とか“どこの便でもいいから、お前が自分で券を買ってきて皆に配れ”とか“お前もエンジンの所に行って一緒に整備して来い”などと、結構無茶なことも言っている。それに対して“今エンジンのテストをしている。1回目はOKだった。2回目をこれからするが、これでOKなら2100dep.。万が一駄目なら、別の便を手配する。しかしその場合、Chinaから新しい機体を持って来ることになるので、3日ほど待ってもらう。2030にもう一度説明をする。”と最終的に答えていた。これもまた無茶なことと思う。飛行機とはなんて面倒な物なのか。で、ひとまず空港内のTaj Mahal Restaurantへ案内され、待っているように指示される。困った。2100に飛べば、HKでまりちゃんの顔は見れるが、もし駄目なら代替便は翌朝になるようだから、まりちゃんどころか、東京に帰ることすらままならなくなる。今は待つしかないが、運に任せるのみ。
ああだこうだ心配はするが、しかし基本的にこういう緊急事態は嫌いではない。流れにしがみついているしかないが、周りを観察していても面白い。トラブルに際しての交渉はスリリングで、CXのattendantは流石に冷静で大勢を相手にしても堂々としかし丁寧に対処しているし、逆に攻める側の先頭にいるのはインド人は若いが押しが強く、皆の意見をまとめて代表して交渉している。オーストラリアに向かっているようだが英語もインド英語ではなく上手い。彼をサポートしているのは白人で、変身する前のスーパーマンのような風貌。クールだが攻めるポイントは鋭い。この二人は他人の面倒見も良く、僕も時々情報をもらった。
まあ、最終的には帰るのが2~3日伸びたって大勢に影響はないから、余計に面白がって見ているのかもしれない。久しぶりにお湯の風呂に浸かれたし、3時間ほどだけど寝心地の良いベッドで熟睡できたし、満足。でもまだ身体が痒い。あのオイルには何が入っていたのか分からないが、80時間も経っているのにまだこんなに残っているとは凄い。流石インド、恐るべし。でもこれだけ強けりゃ、薬効も強いだろうに。身体にもよく効いていると思うと頼もしいか。
Taj Mahal Rest.で、バイキング式の飯も用意し始めた。最初CXからは“コーヒー、紅茶を用意する”と説明されたが、飯も出すとなるといよいよ飛行機が駄目になりそうなのか?と心配しながらもインド料理盛り合わせを2皿も食ってしまった。コーヒーは3杯くらい飲んだ。美味い美味い。
2030、さっきのattendantが来て、2200dep.、0715arr.HKと案内していった。やっぱり、ほっとする。それにしても、英語はもっと勉強しないと。こういう状況になると会話も早すぎて、いちいち他人に確認していかないとならない。問題だ。せめてヒアリングだけでも出来るようにならないと、話にならない。昔、某幸子嬢が、“広東語のヒアリングは出来るんだけど、喋れないんですゥ~。”と言っていたが、聞くことさえ出来れば、こんな非常時でも問題なく対処できる。今回はDorisに習ってているせいかインドに慣れて落ち着いているせいか、旅行中の会話には全く困らず、自分でも英語のレベルが少し上がったつもりでいたが、これではまだまだ未熟だ。Churchgate行きの電車で会ったMr. Rajamaniも言っていたが、英語は経験しかない。そのとおりだ。
さっきから横のテーブルにいるインド系の女の子、顔が凄く綺麗でスタイルも良くモデルか何かのようだが、よく見ていると自意識過剰で嫌なタイプ。どうせ大金持のお嬢さんで我が侭な奴なのだろう。フン。
さっきまで幾ら食ってもお腹一杯になった気がしなかったが、安心したら急に満腹感を感じるようになってきた。
2100、今またCXのatt.が来て、2130にカウンターに来るようにと案内して廻っている。今度こそ本当に帰れそうだ。今回はトラブルもかなり楽しんだから、これ以上のどんでん返しはもういい。げっぷ。
2200、ついにやっとBoarding Gateの中に入った。2120に“CX750に乗る奴は集まれ!”のアナウンスがあって、まずcheck-in counterで名前を一人づつ呼ばれてパスポートを返してもらい、中へ。Immigrationで、空港の係員(ほとんど軍人)とCX750乗客が、boarding cardの新しいのが必要だ、いや貰っていない、のだと一揉めしたが、結局最初のカードでOKになった。こんなトラブルの際にも、インドの“係員”は自分のルールを優先しようとする。
ホテルを出てからずっと歯を磨いていないので、口の中が気持ち悪い。飛行機に乗る時は、いつこんなトラブルが起きるか判らないから、歯磨きセットを必ず持ち歩くようにしないと。そう言えば、英国とかではどうだったか覚えていないけど、インドのホテルには、高級ホテルでもヒゲソリとか歯ブラシは置いてなかった。日本では最下級ビジネスホテルにもあるのに。衛生面で責任持てないからだろうが、自覚があってよろしい。
スーパーマンもどきが、さっきまで闘っていたCX attendantに“色々とご苦労さん”という感じでわざわざ挨拶をしにいっている。お互い(他の人も)“ほっ”という顔をしている。
2330、やっと、やっとやっと、飛行機が動き出した。今度こそ、もう大丈夫だ。もう飽きちゃって、あまり感動も喜びも感じない。この時間だと、HKに着くのは昼近くなる。帰りはHK dep.1620だから1500前にはAPに戻らなくてはならない。2~3時間の滞在。お昼ご飯を一緒に食べれればよいが。外は相変わらずの雨。
 
8月29日(Sat.)
0002 飛行機は2350に離陸した。やっと今、巡航体勢に入った。離陸する時、通常ならエンジンの音がブオーっと盛り上がっていき、そのまま動き出してドーっと加速するが、今回はブオーっという盛り上がりが途中でスーっと終わってしまうのが2回あり、やっと3回目に機体が動き出した。そのスーっという時には、疲れていたせいかエンジンが壊れていたという先入観のせいか、そのまま爆発しそうで怖かった。少なくとも、またAPに戻ることは覚悟したが、もう雲の上に上がってしまった。ここまで来れば大丈夫だろう。インドとの腐れ縁も、もうこれまでだ。いつものことだが、インドに来ると、帰りに空の上に上がったところでほっとする。“やっと出られた”と思う。ならば行かなければいいのに、また行ってしまう。
0016 時計を調整する。今からはインド時間を捨て、BKK time。0017→0147。BKK est. arr. 0501。
0500(India+1.5hrs) BKK着。あまり、というよりほとんど眠れず。オイルかぶれで体がまだ痒い。
HK timeで0930(BKK+1.0hrs.)。BKKには1時間近く停まっていたが、それから飛び立って、やっとようやくHK近くまで来た。0200(BKK time)と0800(HK time)に飯が出たが、流石に朝飯の方は半分も食えなかった。あと30分強でHKに到着。まりちゃんに会えるのは1200近くか。1500前には街から出て空港に戻らなくてはならないので、昼飯食って、近くのマーケットでも案内してもらって、と散歩程度になる。HKについては予習もあまりしていないので、それで充分か。今度機会があれば、香港だけを目的として来てみようか。3~4日あれば来れるし。


1025 飛行機は1015に着陸し、immigrationを通って、今baggage claimで荷物が出てくるのを待っている。早く出てこい。
1100 空港から外に出ると天気がとてもよくて暑い。公衆電話を探してまりちゃんに電話する。いた。ほっとする。待たせてしまったが、飛行機が遅れたのを確認していてくれて、特に心配をしていなかった、というのでまだよかった。すぐにCity Flyer A21というバスを探して乗り込む。4つめの停留所で、車内のLEDに”Hotel Concourse”の前と表示されるって。バス停まで迎えに来てくれるという。楽しみだ。
いた。旦那さんと2人でいた。最初に、彼らのアパートメントに荷物を置かせてもらう。LocalなHKタイプということだが、渋いマンションだ。映画に出てくるような雑居ビルの、煙草を売っている売店の横を摺り抜けて中に入り、ごつい扉をこじ開けるとこれまた渋いエレベーターがある。部屋は決して広くはないが、一度住んでみたいようなシンプルで使い良さそうな家だ。でもこれで家賃は20万円位するそうだ。HKでは家賃はかなり高いそうだ。
荷物だけ置いて、一緒に昼飯を食いに出る。地元の人用のlocal食堂で、梅田氏が注文してくれる。このあたりは下町で、活気があるが英語は全く通じないらしい。運ばれてきたのは“蒸しチキン”と“豚と青野菜炒め”、“2色の具乗せチャーハン”。名前は勝手につけたが。飾らないが、美味い。量も凄くある。結局3人で食べきれずに残してしまった。日本なら持って帰るところだ。
梅田氏はこのあと仕事に行く、ということで別れ、まりちゃんに近くの市場を案内してもらいながらアパートに戻り、そのまま荷物を取って空港に向かう。まりちゃんがバス停まで送ってくれた。
結局、バスが来たのが1430頃、空港には1520に着く。列に並んでやっと自分の番になり、Check inしようとしたところ、att.のお姉ちゃんが“あなた様の席はございません”と言う。言い方はやたらと丁寧だが、“無いものはない”といった厳しい態度。確認すると、予約もリコンファームもされているが、オーバーブッキングされていてこの便は満席になってしまい、違う便(それも翌日以降の便)に代わってもらうかもしれない、と。困ったなァと思いながらもあまりの理不尽さに、怒りの抗議をする。ムンバイのトラブルでの“かなり頭に来ているけど言葉は冷静”という攻め方をイメージして、自分はリコンファームまでしており、それもCochinとMunbeiでの2回もだ、さらにはここに来る便もCXの、あなたの責任ではないかもしれないがあなたの会社のせいで、CXの整備不良が原因でトラブルとなった。お陰で夕べ約束していた大切な知人との再会も果たせなかった。HKに寄ったのはそれだけが目的だったのに。それでもその時は仕方がないと我慢したが、これ以上のトラブルはもうごめんだ、絶対に受け入れない。他の便への変更はしない、自分はこの便にしか乗らない、などと強く抗議したところ、お姉ちゃんは、“10分だけ待ってくれ”と言い残してどこかへ消えてしまった。お姉ちゃんは12分くらいして戻ってきたが、ダブルブッキングはやはり解消できなかったようで、それからしばらく端末相手に怖い顔して何かの作業をしていたが、急にまた作ったような笑顔になり、“あなたは問題ない。これがあなたの席だ。”と出された搭乗券を見ると、なんと!!ビジネス・クラス!生まれて始めてだ。ラッキーだ。しかし多分、最初は日本人だから甘く見て、特にリュックしょっている奴なんか予定はどうにでもなるだろう、と足元を見られて翌日以降の便にしようとしたかんじだ。こういう時はやはりハッキリ言わないと。そのあとの気持ちの切り替え(ているように見せること)も必要だと、ムンバイでの他の人たちの様子を見ていて感じた。
飛行機は1645には動き出し、1700くらいに飛び立った。腕時計を、1700HK timeから1800Tokyo timeに修正する。しばらくして飯が出たが、フルコースですごい。最初にナプキンやらプレートやら並べられて、飲み物の注文を取りに来る時にも”Mr. Shinoda・….”と、一人一人の名前を呼びながら席を廻っている。料理もワン・プレートではなく、3回ほどに分けて出された。また良い経験をした。モモも一度、ビジネスかファーストに乗せてやらないと。
しばし熟睡し、目が覚めたらただいま2100。成田まであと45分。


2150 無事、成田に着陸。最後の“ホッ”。検疫、税関もほとんどフリーで抜けて、外に出てからモモと実家に電話する。なぜかモモがベソかいてる。心配だったらしい。インドをどんな怖いところと思っているのか…。心配させて申し訳ないやら有り難いやら、逆に、インドに失礼な、と憤慨するやらで複雑な心境。これから京成の上野行き特急で帰る。お疲れ様。
反省:ヒアリング強化。

南インド紀行(’98.8.22~29)その5

8月27日(Thu.)
コーチン最後の朝。目覚ましを5時5分と5分前の2回かけたが、最初のベルで問題なく起きて、今さっき支度を終えたところ。05:40。夕べ念のためにと頼んでおいたwake up serviceも、5分くらい前に爺さんが部屋まで起こしに来た。
夕べは珍しく、嵐ではなかった。お陰で湿気もさほどではなく、干しておいた洗濯物も無事収納。ショールだけはリュックに入らないので、手で持っていこう。飛行機の出発は07:50。天気を心配していたが、これなら大丈夫。もう一度トイレに行って、下に降りよう。
下に降りると、タクシーは既に待っていた。フロントには誰もいなかったが、カウンターの奥で寝ていた夜中番の親爺を起こし、この親爺がフロントの兄ちゃんを起こしに行ってくれて、目をこすりながらドーティー巻いて出てきた兄ちゃんに鍵を返して、check out終了。Check out と言っても、鍵を渡しただけだったが。フロントの兄ちゃんいつもはズボンをはいていて、コーチンは流石に西洋化していると思っていたが、やはり寝る時はドーティーらしい。この辺はマドラスのチャック柄と違い、皆、白のドーティーだ。少しオシャレなのでも、シンプルなラインが1~2本入っている程度。生地もマドラスのドーティーみたいにゴワゴワしておらず、売っているのを手にとっても柔らかい。買おうかとも思ったが、どうせ使わないだろうと思ってやめた。
タクシーは薄明るくなってきた街中を抜け、大きな橋を渡って空港に向かう。かなり古そうな橋だが、運ちゃん曰く、この橋はイギリス人が作ったそうで、スプリングが組み込んであってクッションが効いているそうだ。
空港には6時過ぎに着いた。100Rs.。この空港は、Navyの基地の中にあるそうだ。空港はまだ空いていなかった。周りの車で待っている人に聞くと、06:30にならないと開かないと言っている。あと30分も寝られたのに。周りには何もないので、仕方なくウロウロしていたら、じきに建物のドアだけ開けてくれた。しかしcheck inは流石に早めてくれず、鍵を開けてくれたおじさんもどっかに行ってしまい、仕方なく一人でしばらく待つ。ボロで狭い空港だ。誰も人がいないのをいいことに、中のほうまで入って写真も撮ってしまう。インドでは空港等の写真撮影は禁じられているから、コソコソ、ビクビクしながらも、貴重だ(と思う)。
そのうち人が段々増えてきて、通常の動きが始まり、飛行機に乗り込み、出発。順調。
 
15:40 Carlton Hotel, Colaba, Mumbai.
コーチンからの飛行機は09:35到着のはずだったが、結局10時ごろ着いた。ムンバイはどしゃ降り。体調も良いのでRAMADAには行かず、最初にMacDonald’sのマハラジャ・マック目指し、そのまま市内に向かうことにする。
国内線のSahar APにいるのは全てpre-paid taxiばかりで、高い。ナリマン・ポイントまで500~600RS.、Kahr Rd. Stationまででも400Rs.などと言ってやがる。ロータリーのようになった緑地帯の向こう側にいるオートリクシャーはpre-paidではないはずだが、そこの連中がまたタコで、Kahr R.S.までpre-paidで350Rs.などとぬかしやがる。ここで揉めた。横にいた客引きがメーターで行くと言うので案内されたオートでも更に確かめて乗ったのだが、この客引きも乗ってきて、動き出しながら“メーターより安いfixed price”などと言い始めた。メーターで行け、と言っても二人で“安心しろ”とか“絶対安い”とか行って走ろうとする。きりがないので、怒って車を止めさせて降りようとすると、“走ったから金払え”と言う。“ふざけるな、嘘つきやがって。こっちこそ、また戻って別な車を捜さなくてはならない。元に戻れ。”“乗った分だけは払え。”“払わん”“じゃあ乗せたところに戻るから金よこせ”と言ってバックして元の場所までも戻った。ここでまた、“払え”“払わん”“客待ちの列から一度離れてしまったから、また最初から並ばなくてはならない。その分だけでも払え。”“離れたのはそっちの勝手だろう。メーターで行かないのに行くと言って、騙して乗せて走ろうとしたんだろう。こっちは何も頼んでない。払う必要はない。”としばらくワーワーやってたがキリがない。最後に、二人に15Rs.ずつ払ってくれ、と言ってたが、“これで二人分だ!”と10Rs.やって離れた。後ろでまだ騒いでいたが、10Rs.は受け取ったので、無視。ここから離れ、外の道路を目指し歩く途中で、空港のロータリーから出る所にいたオートリクシャーに声をかけてKahr R.S.に行ってくれと言うと、OKと言う。幾らか聞くと100Rs.。オートリクシャーでも安いので頼んだら、少し待てという。見てると後ろから来たタクシーを捕まえて、同じ条件で行くように話をつけてくれた。どしゃ降りの中だったので、本当に助かった。しかし、このリクシャーが何故自分で行かないのかは判らなかった。不思議だ。
乗ったタクシーの兄ちゃんは明るくおしゃべりで、楽しかった。途中までは。乗った時に念のためもう一度行き先と値段を確かめて、更にマクドナルドを知っているか聞いて、これは判らないようだったがその後もいろいろと喋りながら、車は大雨の中を快調に走っていった。と、急に車が止まり、運ちゃんが“I’m sorry.”と言う。前を見ると、道路が水没していて、人は歩いているが膝くらいまで水に浸かり、車は車輪が全部水没して動けなくなっている。これ以上進めないようだ。もしかすると空港でこのタクシーを捕まえてくれたリクシャーの運ちゃんは、この通行止めを知っていたのかもしれない。とにかくUターンして車を止めさせ、運ちゃんと相談する。運ちゃんが言うには、Kahr R.S.へ行くなら大きく回り道をしなくてはならず30分以上はかかるから、100Rs.ではとてもじゃないが行けない、250Rs.欲しい、と。高すぎる、とこれはこれで交渉しながら他の行き方を聞くと、Kahr R.S.の隣のSanta Cruz Stationなら、ここから近いし、150Rs.で行くと言う。最終的に30分の迂回路で200Rs.か、Kahr R.S.まで電車で3分、ここからすぐのSanta Cruz S.まで150Rs.か、どちらかでの選択となり、Santa Cruzに行ってもらうことにした。
行ってみるとSanta Cruz S.は本当にすぐで、降りる時に150Rs.は高いと文句を言ったが、一度OKしてしまったから当然駄目。少し悔しかったが、あの状況では仕方ないと諦める。今回は運が無かった。この時間帯の運は、この車を捕まえた所で尽きてしまった。
Santa Cruzの駅に入り、3Rs.の切符を買う。改札を入って階段を上り、ホームへの陸橋を渡りながらKaht R.S.行きのホームを他の人に聞いていると、そのホームに電車が入ってきた。走って階段を降り、混んだドアに飛び乗って奥にもぐった所でちょうど発車。ギューギュー詰めで苦しい。写真でよく見る、人がドアの無い乗降口にぶら下がっている光景の、その内側にいる。蒸暑くて、すぐに汗がだらだら出てくる。
タクシーの運ちゃんはKahr R.S.まで3分くらいと言っていたが、途中ずっと停まっていて10分くらいかかった。走っていたのは3分くらいか。結局11:40頃Kahr R.S.に着いた。ここはムンバイ郊外の高級住宅街で、少し歩いた所にある*****道は、超高級ショッピング・モールになっているということ。インターネットのホームページ“印度的酒天小姐(酒呑)”を書いているHarukoさんにメールで教えてもらった案内に従い、マクドナルドを探す。でもここも駅から少し離れると水だらけで、ひどい所はふくらはぎまで沈む。歩くというより、泳ぐ、というかんじ。これで足に擦り傷でもあったら、完全に破傷風だ。水のせいか、なかなか辿り着けず、アッチ行っては戻り、コッチ行ってはまた戻り、道を聞いてもそれが少しずつ違っていて、結局辿り着いたのは12:30頃になっていた。1時間近くウロウロしていたことになるが、足元は当然ズブズブだし傘さしていたのにリュックやシャツもびしょ濡れになっていた。何もハンバーガー食うためだけにここまですることも無いのだろうが、今日は夜まで暇だし、この天気じゃエレファンタ島にも行けないし、マックでもどこでもいいから目標を決めて知らない街をうろつくのが楽しい。でもそれにしてもひどい状態。全身ずぶ濡れ。
マックは大きな高級ショッピング・モールの、金持ちの師弟がうろついているエリアのど真ん中にあった。入口には鉄砲を持った番人が二人もいる。銀行ですら一人なのに。中に入るとこれがまた見るからに金持ちそうなお子様たちと親御様たちがいらっしゃる。リュックなんて背負っているのはもちろん一人だけだったが、一緒に列に並んでメニューを眺めながら順番を待つ。番が来た。Maharaja Mac48Rs.、Vegitable Burgerにチーズを入れて36Rs.(チーズなしだと31Rs.)、レギュラーサイズのコーラ15Rs.、ホットコーヒー13Rs.、合計112Rs.!やっぱ高いよ、これは。注文聞いた最後にお姉ちゃんが「ポテトはいかがですか?」と聞くのは万国共通だが、メニューボードにsmile 0Rs.とは書いていなかった。2階に上がると席の造り自体は日本のマックとあまり変わらないが、テーブルや椅子の間隔が若干広いようだ。フロアの一部をガラスの仕切りで区切って、赤んぼ連れのファミリーコーナーになっていて、またごみ箱カウンターの上にはナプキンやストローはなく、ポンプが二つ置いてある。これはケチャップとMac Chilliというチリソース。ストローは飲み物を買った時に貰うだけ。コーヒーには既にミルクが入っている。
マハラジャ・マックはマトンで作ったビッグ・マックだが、確かにほんの少し、マトンの香りがする。味はビッグ・マックと大した違いはなく、評価は分かれるだろう。美味い不味いで語れば、評価には値しない。しかし、このメニューは、世界のマクドナルドのラッピング・ペーパーに包まれたマトンのハンバーガーは、世界中でこの国にしかなく、店舗も現在はこのムンバイの店と、あとはデリーに2店舗か3店舗あるだけ。この希少価値と、こんな一個数百円の大量生産のレギュラーメニューに宗教性が反映されている、というアンバランスな重さを鑑みれば、¥今こうしてここでビッグ・マックを目の前にしていることは、ある意味でインドの特殊性の真っ只中にいる、ということかもしれない。そう思えば今日は有意義だ。と言うか、そうでも言わないと空港からここまで来たこの苦労は何ナノかと思ってしまう。次に行く。ヴェジ・バーガーは、Veg. Masaraのフライをバンズに挟んだだけ。これについても評価はマハラジャ・マックと同じ。マック・チリはかなり辛い。普通のチリ・ソースか。まあ、腹が減っていたから美味かったが、満腹になると、単に“話の種”というもの以上ではない。ご馳走様。
空港のリクシャーのときもそうだったが、トラブルにはかなりOKになってきた。体調が良くて余裕があるせいもあるのだろうが、粘りが出てきた。全てを楽しめるようになっている。
今日はこの後、ムンバイの中心部へ出て宿を確保し、荷物を置いて夜までうろつこう。宿は荷物を置くだけだから安宿で構わない。Colabaを目指す。あまりゆっくりもしてられないので、出発。ただ今12:45。
マックを出て、目の前でオート・リクシャーを捕まえて駅へ向かう。来る時は50分くらいかかったのに7分で着いて、メーターで7.70Rs.のところを8Rs.払う。Churchgate Stationまでの切符5Rs.買ってホームに行くと、丁度、前の電車が出た所だった。時刻表を見ると、10分くらいで次の電車が来る。驚いた、と言うよりインドを甘く見ていただけだが、インドで10分置きに運行する電車があるとは思わなんだ。じきに来た電車は来た時と同じように混んでいたが、今度は慌てないで済むので余裕がある。入口から少し中に入った辺りで落ち着き、窮屈だったが我慢。動き始めてから、前に立っていたオジサンにChurchgateまでの時間を聞くと、にやりとして“33分きっかり。”と誇らしげに答える。いつもこの電車に乗っているようだ。これがきっかけとなり、ゴトンゴトンと揺られながらいろいろと話をする。人相はあまり良くないが立派そうな感じの人だ。優しくていろいろとインドのことを教えてくれる。が、僕には優しいのは有り難いが、途中、僕のために横にいた少年を怒り始めたのには困った。このオジサンは乗降口のそばの壁に立っていたのだが、人と人との間でつぶされている僕のために、自分の横に空間を空けてくれようとして横にいた少年を出口のほうに押しやり、そこに入って壁に寄りかかれ、と言う。確かにその方が楽なのだが、こんなギューギュー詰めの電車の中でそれは無理というもので、空間がなかなか空かないとなるや、その少年を怒り始めた。僕が、大丈夫だから、と言って止めさせようとしても聞かず、少年は怒った顔をしながらも、“遠くから来た旅行者のためにお前はどけ!”という感じのオヤジの勢いにまけ、結局どいてくれた。こっちも困るが仕方ない、少年に“一応”お礼を言って、隙間に入れてもらった。こういうことはインドでは多い。このオヤジや少年のカーストはよく判らないが差があるのは歴然で、こういう場合に上位の者が下位の者に対して、相手を人とも思っていないような扱いをして、またされたほうも、例えば今回で言うならスペースを取られたことに対して露骨に不満そうな顔はしても、そう扱われたこと自体については仕方ないというか、それで当たり前、という顔をしている情況はよく目にする。
このオヤジ、話も面白い。インドの言語は主なもので64種類あるそうだ。カルナータカの言語はサンスクリットから派生したものだとか、今でもサンスクリットを使っている村が一つだけあるとか、良く知っている。駅に停まるたびに車両の中は空いていく。途中、盲目の歌唄いが二人で手をつないで唄いながら、狭い車内の人の間を過ぎて行く。誰もバクシーシをやろうとしないので、じきに降りていった。オヤジとの話は、ムンバイのタクシーとオートリクシャーの話になった。この街以外では、タクシーもオートリクシャーも、メーターで走る時にはメーターの数字がそのまま料金になっている。これが当然なのだが、ムンバイではこれが違って、メーターの数字を換算する表(tariff)があって、これに従って料金を払う。おそらく、この街の異常な物価高からの推測だが、かつて物価の高騰が激しい時に、その都度タクシーのメーターを直すわけにいかず、別に換算表を作って対応したものと思われる。これを知らないと請求されたときにメーターと違うと揉めたり、ボッタクられたり、また知ってても古いタリフを出されて、これは古いから、とこれまたぼったくられたりする。だからムンバイでタクシーやオートリクシャーに乗ったときには、お金を払うときに必ずタリフを出させ、それに従って支払うようにする。オヤジとその話になり、僕がタリフも信用できない、と言うと、おもむろに自分の財布から小さなタリフ・カードを出して僕にくれた。これは本当に有り難かった。まあ、出来ればインドに着いたときに手に入れたかったが、また次の機会もあるかもしれない。それより段々と、このオヤジの親切さに不安になってきた。現地人との接触にはかなり神経遣って警戒しているし、常に相手の様子を見て、心身ともにいつでも逃げられるような体勢でいるようにしているのだが、今のところ、このオヤジは大丈夫という反応を脳みそがしている。でもあまりに親切なので、その点だけで脳みそ後頭部のエマージェンシー・ランプが小さく点滅し始めている。これから仕事に行く、というのでその辺に話を持っていくと、名刺をくれた。言うには、Churchgateの目の前のビルにofficeがある。自分のビルだ。
D.Rajamani
 5/158 MHB Colony, Sunder Nagar, Kalina, Santa Cruz(East), Munbai-400 098, India
    Tel. 618 1730, 612 7453
会社の名刺は2枚くれて、Asahi Songwon Colors Ltd.という会社と、Audichemという会社両方のBranch Managerになっている。因みにAudichem(India Ltd.)のロゴは車のAudiと似ている。販売代理なぞしている筈はないので、多分パクリだろう。それとも或いは(India Ltd.)となっているから・…。いやそんな筈はない。この2社とも住所は一緒。
5-B, Vulcan Insurance Building, Veer Nariman Road, Chuhrchgate, Bombay-400 020.
Tel. No. 282 9663, 282 9664と電話番号も同じなので、一緒のオフィスだろう。
場所はChurchgateの駅の真ん前という。本当にそうなら、このオヤジは経済的にはかなり成功した人だが・…。本人が言うには、自分は仕事で成功した、海外からの旅行者に親切にするのが趣味だ、ということ。そんなこんなで13:30頃、終点Churchgateに着いたが、迷う。このオヤジがセーフかアウトか。降りたら今度は自分のオフィスに寄っていけと言う。流石にそこまでは危険だと思い、少なくともここまでは“いい人”だから、そのままでいてもらうため、逃げることにする。9割方OKでも、ここはインドだから。で、誘いを断り礼を言って、本来の僕の行き先はオヤジの行く方だったが、「時刻表(Trains at a Glance)を買うから。いろいろと有り難う。」と言って反対方向に見えるインド版キオスクに向かおうとした。そしたらオヤジ、自分が買ってやる、と言って付いて来る。これはまずい、と思って断ったが、結局このオヤジ、自分でズンズン歩いて行って時刻表を買ってしまった。参ったな、と思っているとそれを僕に押し付け、お金を渡そうとしても受け取らない。仕方なく礼だけ言い、まだ案内してくれようとするので「申し訳ないが、バックパッカーは自分の目で道を探して、自分の足で歩いくものだ。本当に有り難いが、また却って申し訳ないが、ここからは独りで行く。」と丁重に断ったところ、「じゃあ、元気でな!日本に戻ったら手紙でも寄越せよ。」とだけ言って、また元の方角に戻って行ってしまった。結局このオヤジ、本当に“いいひと”だった。今回の旅行はこのオヤジといいプラサドといい、本当にいい人たち、今までのインドでは想像も出来ないような人たちとの出会いがある。いい人と出会い、またすぐに別れ、理想的な旅だ。オヤジも南の方の出身だそうだ。南の人たちはいい人が多い。
Mr. Rajamaniと別れ、まず空港までのバスの時間を確かめるためAir Indiaに向かう。リュックを背負っているので、若干ゆっくり目の足取りで30分ほどするとAIのビルがあった。中に入り、バス乗り場の場所と時刻表を確認したい、と言うとなんと、バスは運行されていない、とのこと。バス会社がつぶれた、とかのたまっている。タクシーか電車で行け、という。ここまで来てタクシーなんぞには乗れない。300Rs.を直接換算して1,000円と考えれば、普段日本では荷物なんか無くてもそれくらいの金額でタクシーに乗ることは良くあるし、ましてやリュックなぞ背負っているんだから大した額ではないが、この地で自分が求めている生活からすると、結構大きな額だ。それに電車のあるところをタクシーに乗るというのも抵抗がある。電車で空港の近くまで行き、そこからタクシーかリクシャーを使うことにしよう。
更に30分ほど歩いて、Taj Mahalのビルに入っているCXのオフィスに行く。コーチンでリコンファームした時に、ムンバイ→香港の確認はしたが、香港→東京の確認をするのを忘れた。多分大丈夫と思うが、ここはインドだし、念のため。CXで確認したところ、OKだった。ついでにオフィスのソファで少し休ませてもらう。少ない荷物とは言え、リュック背負って1時間歩いたので幾らか疲れた。ここで座って、地図やLonely Planetを見ながら行き先を考える。この荷物で歩き回るのはちょっときつい。仕方ないのでどこかの安宿に部屋を確保して、シャワーを浴びて荷物置いて散歩でもして、夜になったらChurchgateまで歩いて電車に乗ろう。
CXを出て、Taj Mahalの裏側に廻る。インド一の高級ホテルの裏はColaba地区と言って、ムンバイ一の安宿街。疲れていたのと、どうせ夜までだというので、最初に見たCarlton Hotelの300Rs.の部屋に決める。最初に見た、窓なしTVなしの275Rs.がこの宿では一番安く、相場を見てもこんなもので、半日使うだけだからこれでもいいかと思ったが、洗濯物をもう少し干すつもりだったので一応窓のある部屋を見せてもらった。この部屋がすごくて、狭い部屋の奥にあってここを通らないと出入りできないのだが、この手前の部屋がまた狭く、小さなベッドが一つしかない極小シングル・ルームなのにインド人の家族が3人で泊まっている。大昔カルカッタで逆の立場になった事があったが、これは出入りに気を遣う。角部屋につき風通しが良いのは有り難い。突き当たりの窓の目の前がTaj Mahalの背中になっていて間の道路を通る人や車が良く見える。極めつけは横の窓で、これを開けると前には汚いビルがあり人がいる。これ、よく見ていると娼婦宿。2階の窓に派手目の女の人が数人、結構綺麗なお姉ちゃんもいる。写真撮ったらにらまれたが、結構楽しそうに下の道を見ている。何を面白がっているのか判らないが、皆で下を見てゲラゲラと下卑た笑い声を立てて騒いでいる。このビル、後で周りを歩いてみたが、入口が無かった。人は裏から入るのか、それとも1階のまともそうな店の奥でも出入り口になっているのか。それとも呼ばれて出掛けるのかもしれない。
それにしても本当にムンバイの物価は高い。こんな宿でも、昨日までいたような他の街の10倍近い。何かで読んだが、ムンバイのオフィス街の一等地の賃料は、ニューヨークや東京のそれより高いそうだ。話半分としても、かなり高いのには違いない。こんなぼろ宿、直接換算しても1,000円くらい。これは釜ヶ崎のドヤと変わらないのではないか。数年前で釜ヶ崎の小奇麗なホテルが2,000円だったと思う。部屋の大きさもあまり変わらない。ましてや物価換算すると10,000円位になり、大阪・中津の三井アーバンHよりはるかに高い。当然貧富の差が殊更激しく、スラムの汚さ、凄さも他の街の比ではない。
 
17:40 今、シャワーを浴びてきた。シャワーは、フロントの周りにいくつか小部屋で、トイレと一緒にある。見た目には小奇麗に掃除してあって、トリヴァンドラムのホテルのシャワーより快適そうに見えたが、水の出はコッチの方が悪く、最後には本当にポタポタになってしまった。これでは“シャワーを浴びる“状況になく、トイレ用の水バケツを蛇口の下において水を溜め、それで身体についた泡を少しづつ流して行く。こんなことなら石鹸なんか使うのではなかった。エラク手間がかかる。
どうにか泡を流して部屋に戻り、この後の行動を確認する。空港へは、まずChurchgateまで歩き、電車でAndeliまで行くことにする。そこからはA.リクシャー。空港税がおそらく300Rs.、それとA.リクシャー代で50Rs.位残すことにすると、あと使えるのは360Rs.くらいか。これで夕飯と買い物をしなくてはならない。買い物は特に無いが、飯は気を付けないと。ムンバイは物価が極めて高いから、いい気になって美味いもの珍しいものを食おうとすると、すぐにオーバーする。
19:10  at Mocambo Café
夕方になって外に出た。天気のせいでエレファンタ島に行けなかったので、Mani Bhavanの一個所くらいは観光地に行きたい、と思ったが、18:00までで終わり。諦めざるを得ない。布屋でも探すか。Lonely Planetによると、街の中心部にHandoom Houseがあるらしい。行くことにする。地図を見ながら歩き、それらしい場所に30分位で着く。途中で派手な馬車とすれ違う。周辺を探し回るが、小さな個人商店は沢山あるもののHandloom Houseは見当たらない。近くにある店で一番まともそうな時計屋で聞くと、GPO(General Post Office)の近くに移動したという。GPOのどっちの方か確かめようとしても、近くで聞けば分かる、と繰り返すのみ。仕方なくGPOまでまた歩いて、周りの店のオヤジや通行人に聞き回るが、皆言うことがバラバラで辿り着けない。インドで人に道を聞く時の迷路にはまったと思い、諦める。インド人に道を聞くと、彼らはめったに“知らない”とは言わない。知らなくても知ってるフリをして道を教えてくれる。知らないで言うものだから当然そこには辿り着けない。また違う人に聞くと同じことを繰り返し、段々エスカレートして、そのうちに周りの人を皆、通行人やお巡りさんまで巻き込んで、アッチだコッチだの大騒ぎになる。
買い物は諦めて、飯屋を探すことにした。ムンバイで安くて美味いものは期待できないので迷うが、パールスィー料理があるというので、この店に来た。しかしメニューにはあるものの、今は作っていないという。それがなけりゃこんな店には何の魅力も感じないのだが、他に行くのも面倒なので、Mutton Curry with Rice 40Rs.とCoffee 10Rs.をもらう。特に不味いわけではないが、何の変哲も無いただのマトン・カレーだ。流石に高いが仕方ない、ムンバイにしては安い方だろう。でも店員の態度が悪い。観光客とかビジネス客とかに慣れきって、すれてしまったようだ。この街は何から何まで、快適なものが一つも無い。インドは好きだがムンバイは好きではない。
21:10  Carlton Hotelの自室で
Mocambo Café から歩いて帰ってくる途中、お祭りのようなパレードを何度も見た。今こうして部屋にいても、窓の外の奥の公園の先から聞こえてくる。太鼓をドンドコドンドコ、サンバのリズムのように延々と叩き続け、踊っている奴もいる。10人前後のグループで街中を練り歩いているが、これが何グループもあるようだ。時折、爆竹を鳴らすが、日本のそれの比ではないほど大きな音で、あれは手榴弾かもしれない。
宿には20:00過ぎに帰ってきて、荷物の整理をして一休み。夜まで一眠りしようと思ったが横になっても眠れず、あきらめた。もう少ししたら出ようか。Churchgateまで、雨が降っていなかったら歩いて、降っていたらタクシーで行く。Western Railwayの時刻表でも買って、ゆっくり行こう。少し早いが、AndeliでA.リクシャーを拾ってSahar A.P.まで行ってしまい、居眠りでもしよう。お金が400Rs.ほど余りそうだが、無理に使うこともあるまい。疲れて面倒くさい。土産に煙草でも買うか。それとも国際電話がかけられたら、モモに電話でもするか。04:30頃なら東京は08:00で、丁度起きた頃か。全然連絡していないから、ふくれているだろう。まあ、時差もあってタイミングも悪かったし、大体まともに国際電話かけられる場所が少ないし、あっても高い。仕方ない。
所々、身体がまだ痒い。完全にオイルのせいだ。残りを持って来なくて良かった。成分はわからないけど、あんなの持って日本に帰ったら、空港で捕まってしまうんじゃないか?
22:00  用意ができた。いざ、出発!!!!

南インド紀行(’98.8.22~29)その4

8月26日(Wed.)
またもや宿のレストラン。天井の板が外れている部分が、また広がっている。今08:15。今朝は07:30頃起きて顔を洗い、今からコーヒータイム。昨夜は明け方までひどい嵐で、うるさかった。でもよく眠れた。昼間晴れている時はカラッとして快適だが、嵐の最中は湿気がひどく、昨夜洗った洗濯物も全然乾いていない。明日の朝にはムンバイに出発しなくてはならないから、今晩はもう洗濯できない。今干してあるのも夕方までに乾くかどうか。
体はやっとインドに慣れてきた。垢のせいか身体が痒いが、夜は熟睡できるし体調は極めて良い。歩き廻っているから疲れはある程度あるが、ストレスは全くないし、絶好調。何故日本にいるといつも体調悪いのだか。お湯のシャワーを使いたい。ここの部屋、お湯が出るというのも魅力だったのだが、夕方から朝にかけていつも停電で、自家発電してるから明かりは点くが湯沸かし器は使えない。実質、部屋にいる時はほとんど湯は使えない。
大き目の漁船が沖に出て行く。おそらく一番遅出の連中と思われる。近くでは小さな船がウロウロしている。彼らはカニとかエビを採っているのだそうだ。そう言えば昨日Fort Jettyで船を待っている時、目の前でこんな小さな船が、細いロープに間隔を空けて枝糸が結んであってその先に魚の身だかカマボコみたいな餌が付いているような、海に沈めてある仕掛けに獲物が付いていないか点検していた。極めて原始的な道具で、それもそんな目の前の浅い海で、Chinese Fishing Netの側で売っていたようなエビだカニだが獲れるのか、不思議というか疑わしいものではあるが、彼らは職漁師には間違いないようなのでおそらくそうなのだろう。
既に日は昇っていたが、嵐の雲が残っていて外は薄暗かった。でもやっと、沖の方が少しずつ明るくなってきた。そろそろ頭をムンバイに向けて切り替えないと。宿はRamadaを予約してきたが、やはり街中で安宿を探そう。順調行けば昼くらいにはColabaあたりに辿り着けるだろうから、充分時間はあるし。それよりも毎日の嵐が今晩の来るだろうが、それが明日の朝まで残って飛行機が飛ばない、なんていうのが恐ろしい。さっきベッドの中で時刻表を調べたら、もしも明日の朝07:50の飛行機が欠航になったとしたら、それからすぐに駅に行って電車に乗っても、ムンバイに着くのは明後日の晩になってしまう。当然、香港には帰れなくなってしまう。それは困る。まあ、土曜日に日本に帰る必要はないから、最悪翌週の金曜日の朝くらいまでに着けば、その後の札幌出張には穴を空けないですむ。時間的には余裕があると慌てないですむ。いいね。
10:00になったので、下に降りる。フロントでPrasadoを待つ。今回は昨夜よりは期待していいだろう。昨夜が五分五分、今日は六:四か。でも約束の期待値は常に半分。しばらく待って来なければ、一人でMattancherryに行こう。
昨夜もこうして前の道路を見ているのが面白かったが、朝もこれまた面白い。インドの街はどこも朝が元気だ。トラックやリクシャーは多いし、仕事に行くような人も多く、賑やかで活気がある。この街は特に他と比べて、かなり西洋化されていると思う。宿のレストランでも、夜になるとインド人が酒を大っぴらに飲んでいるし、それも親爺たちだけでなく、小金を持っているような遊び人ぽいというか、中にはチンピラみたいのもウロウロしている。こんな中途半端な連中は東京とかロンドンにはよくいるが、Cochin以外のインドの街では見たことがない。おそらくGoaとかも同じようなものだろうが、歴史的に西洋人と接してきたからか西洋文化に慣れているようで、田舎だから人が朴訥ということもあろうが、なんというか、すぐにお金を欲しがったり物を欲しがったりするような、インド特有の鬱陶しさがあまり感じられない。遊び人のような輩がうろついているのは不愉快であるが、逆にこれだけで、あとは旅行者にとっては快適なことばかり。人間がさっぱりしているし、他の街ほどインド人間の身分差とかも感じない。こっちも余計な神経を使ったり、警戒したりしないで済むので、とても楽だ。ジュースのような身の回りのものを見ても、ここにはThumbs UpなんかなくてSeven Upだし、LimcaでなくてMirindaやPepsi。でも、こんな面も段々と変わって行くのだろう。旅行者が安直なことを繰り返して、旅行者はおいしい、と思い始めたら後は悪くなるのは早いし。悪い意味でのインドの都市になって行く。寂しいことだね。今まで晴れていたのに、急に雨が降ってきた。
10:30ころになって、Prasadoはやって来た。船に乗り遅れた、と謝るが、問題ない。この宿の前でボーッとしているのは結構楽しいから。Mattancherryに行こうというので、Jettyの方へ歩く。Jettyを越えてState Bank of Indiaに寄って両替をする。$20-が838Rs.に。この店は小さいからか、早かった。Prasadoを待たせているので急いで外に出て、Synagogne(シナゴーグ:ユダヤ教会。Cochinにはインドでは珍しく、ユダヤ人街があるが、ユダヤ教徒は今では一家族、6人しかいないそうだ。)にのんびりと歩いて向かう。この辺りはJew’s Townだが規模は小さく、廻りはモスリムに囲まれている。Mattancherryはモスリムの街、Fort Cochinはクリスチャンの街だそうな。だからFortには学校が多いそうな。途中で服屋を見つけ、パジャーマーとクルターを選び、胸にポケットをつけるように頼む。全部で160Rs.。お土産にスカートも選ぶ。150Rs.というが、合わせて300Rs.にまけてもらう。Prasadoに確かめながら、そんな高くない、という値段で妥協。修理を頼んでお金を払い、Synagogneの帰りに受け取って帰ったのだが、最後に店を出る時に、店の親爺がこっそりPrasadoに10Rs.を渡していた。店に案内してきたものと思ったようだ。でも他の街ではよくあることなので気にしなかったのに、Prasadoはもらったお金をわざわざ僕に見せて、バツ悪そうにしていた。この人は本当に真面目というか正直というか、インド人とは思えないくらいクリーンな人だ。芸術家なんていうのはどこの国でも非常識だから、彼もいい意味で非常識なのだろう。純粋。話していても笑顔はとても柔らかいが、無表情の時は非常にシビアな顔になる。優しいがプライドはとても高い。純粋だが、やはりプロだなァと思う。
途中の道には米屋、豆屋、スパイス屋が集まっていた。小売りもするのだろうが、中問屋といった感じの店ばかり。トラックから、コメをバラバラと落としながら麻袋を降ろしている。豆やスパイスはもちろんだが、驚いたのはコメにもいろいろな種類がある。赤い米や黄色い米、長い米や丸い米、インドで主に見る長粒種だけではない。スパイス屋にはDried Red Chilliも山積みになっていた。料理にいつも入っているGreen Chilliは見えない。おそらく八百屋の領分なのだろう。
Synagogneは小さな教会だ。入り口も露地の奥でぱっとしないし、中も狭い。でも中国から持ってきたという床のタイルやシャンデリアは歴史を感じさせるものではあるが、美しい。壁が路地に沿って他の建物とずっと繋がっているので、或いは奥は広いのかもしれないが、入れる部分は少ない。中ではたまたまグループの観光客相手にガイドが説明をしていたので暫らく後ろで聞いていたが、大体が解ったところで出てきた。入場料は1Re.だが、二人分を一緒に払う。
のんびり喋りながら、歩いてまたFortに戻る。まだChinese Fishing Netまでしか行ってないので、もっと奥の*****を案内してもらう。こうした、散歩しながらの世間話は楽しい。インドにもマフィアはいて、特にムンバイには多いそうだ。宿から少し奥に歩いたところにモスリム寺院があるが、そこの門は緑で塗られている。この緑は、モスリムの色だそうだ。Fortのダンスセンターでは、ほぼ毎夕踊って、月に100Rs.位貰うそうだ。大都市に行けば500Rs.位は貰えるそうなのだが、Cochinは物価が安いのでこれで充分なんだって。月に100Rs.というと、彼の生活からしたら少ないと思うが、他にマッサージとかの副収入もあるようだから大丈夫なのだろう。これらも合わせた総収入は聞かなかったが、飯も普通に食うしリクシャーにも乗るし、お金には特に厳しい思いはしていないようだし。
Chinese Fishing Netの前を通った際に、漁師の中にPrasadoの友達がいた。他の漁師たちも一緒に写真を撮り、獲れた魚を見せてもらう。ここでは変な赤いドロメのような、ちょっとグロな魚もいた。この友達はCochinの人だと言うが、どういう友達なのか。職業も違うし、接点がよく解らない。
St. Francis Churchで、かつてザビエルが死んで、その死体がしばらく置かれていたという場所を見る。教会内の床に置かれていたようだが、理由や状況はよくわからん。Santa Cruz Basilica ではミサが行われていた。これらの教会はそれぞれ歴史はあるが、入場料も取らず写真の制限もなく、Fortのクリスチャンの日常的に使う教会のようだ。
ひととおり見て、再びJettyに戻る。昼時になって腹が減ったので昼飯を食ってから解散しようということになったが、PrasadoはFortにはあまり知った食堂はないらしく、Hotel Seagullのレストランに行こうとする。でも僕はもっと違った、localな食堂に行きたい、と伝えたところ、よく行く食堂がErnakulumにあるというので、そこに行くことにした。Fort Jettyで船を待っていたところ、船着場で親爺が魚釣りをしている。かなり年取っているが、明らかに職漁師。しかし使っている道具がかなりちゃちな物で、1mほどの短い枝のような竿の先に、竿よりは幾らか長いテグスが結んである。その先に小さな針が付いているだけの、田舎の子供がメダカ釣りでもするような、本当にちっぽけな道具。見ていると、この針に小さなエビを付けて、ウキもないので要するに脈釣りをしている。しばらく船着場の前に餌を投げ込んでいたら、じきに10cmもない小さなイシダイの子供の仲間のような魚を釣っていた。何も考えずに見ているとほのぼのとしているが、この老漁師はこんな小さな魚を1匹ずつ釣って、どれだけの収入になるのだろうか。
しばらくすると船が来た。13:20発だ。いつもそうだが、船の乗り降りは早い者勝ち。乗るほうも、決して降りる人を待っている訳ではないようで、ただ船が着いた時には降りる人間が乗降口に詰めかけて降りようとしているので、仕方なくその集団が降り終わるのを待っている。でも主に女の人たちが入口から乗り込もうと待っているのとは別に、身軽な一人の若い男とかは窓からドンドン乗り込んで、まだ降りる人が続いているうちに席を占領してしまう。降りる人たちの大方が外に出ると、まだ大きな荷物や自転車を持った人が数人降りれずに残っているのに、イライラしながら外で待っていた人たちが我先に乗り込み、女の人たちは前のほうの席を争い、男たちは後方の残った席に早い者勝ちで座る。一通り落ち着くと、自転車や大きな荷物の人たちがやっと降りて行く。インドの乗り物を利用する時は、バスも電車も、皆こんなだ。
20分ほどでMain Jettyに着き、オートリクシャーに乗る。Prasadoが行き先を告げているが、何を言っているか解らない。オートは、昨日行ったState Bank of Indiaの横を通りすぎ、じきにUターンして道路の反対側の”Spiceboard”というバス停の前で止まった。そう言えば、事前にインターネットで調べてきて時間があったら行ってみようと思っていた場所の中に、”Spiceboard”という要するに州政府観光局だかがやっているスパイス案内所のようなのがあったが、それのことなのかもしれない。このバス停のすぐ前にある”Hotel Athul Jyothi”というVeg.食堂にPrasadoは入って行く。普段から良く来るらしい。空いているテーブルに座り、Prasadoに何を食べたいか聞かれ、廻りを見ると、皆プーリー・マサラのような一皿定食を食べている。それも美味そうだったが、出来れば米が食いたいと言ったところ、注文してくれた。しかし米の定食は2階に行ってくれと言われ、席を立って2階に上がる。ここで注文したところ、今度は米の定食には入口でクーポンを買ってこい、と言う。仕方なくPrasadoが行こうとするのを止めて待っててもらい、下に降りて入口でクーポンを2枚買う。案内してもらっているからもあるが、タクシー代もPrasadoが払ってくれたし。この人、ほっておくと全部自分で払おうとする。クーポンは、”Coupon for Rice, Two.”と言って、買った。2枚で30Rs.。すぐに小鉢の乗った皿が配られ、飯鉢を抱えたおっさんが飯をドカッと盛っていく。よく写真でも見る、“南インドのミールス”そのままの、典型的な定食。バナナの葉ではないが、大きなプレートの真ん中にコメを山のように盛り、廻りにいろいろなアイテムが並んでいる。こんな街の定食屋ではどこもそうだが、飯もおかずもお代わりし放題。コメは丸くて、薄皮みたいのが少し付いている。こんなコメは始めて見た。よく見る細長いのは、高級品なのだろう。確か、Mattancherryへ行く途中のトラックが積んでいたコメも、丸かった。シンプルだが結構うまく、お代わりも少しもらった。皆は当然手で食べているが、僕はスプーンをもらった。
飯を食い終えてPrasadoと別れる。彼は昨夜はWillington IrlandのHotel ”Taj Malabar”で踊っていたそうで、今晩もそこへ行くので、そろそろ準備の時間らしい。因みに”Taj Malabar”というのは、“あの”Taj系の、Cochinで一番高級なホテル。昨夜は日本のトヨタの社員が二人で来ていたそうだ。そう言えば、トヨタは来年からBangaloreで自動車の合弁生産をすると言う記事を、以前に新聞で見た。その準備か何かで来たついでなのだろう。もしかすると、車をCochin港から他に運ぶのかもしれない。そんなことはないか。輸出なんかしないし。部品の輸入かな。
Prasadoは本当にいい奴だった。とても楽しかった。また来る約束をする。次回はwifeを連れてくると言ったら、その時にはAlleppyの彼の実家に呼んでくれるそうだ。写真を送るために住所を聞いて、礼を言って別れた。
PRASADO.S : Devi Musics & Giftland(お兄さんの店だそうな。)
       N.S.S Shoping Complex, Pazhaveedu P,O., Alappuzha-9
彼と別れてから、昨日のスーパーマーケットに寄って土産を買う。黒胡椒を更に1パックと紅茶の小袋を2種類×2袋ずつ、昨日のココナッツオイルの小瓶を2本、合計150.40Rs.。やはり高い。ゆっくり歩いて昨日サモサを買った店を目指す。途中酒屋があって、ウイスキーやブランディーの300cc位の小瓶が100Rs.程度からだった。前に見たデリーの酒屋より明るく、胸張って売っている感じ。
サモサ屋でコーヒーを飲んで一休み。5Rs.。そのままMarine DriveをMain Jettyとは逆に北に向かって歩き、Vypeen(ヴァイピーン)島行きの船に乗る。1.60Rs.。船は丁度出るところだった。とても混んでいる。15:30発で、いつものように巨大なホテイアオイの群れの中を進む。これ、小さいのはうちの庭にあったホテイアオイとまさに同じだが、考えてみればここは海だ。ホテイアオイって海にもあるのか?15分ほどでVypeen島に着いたが、疲れていたのと、港の廻りには特に面白そうな様子もないので、港のすぐ脇のChinese Fishing Netを覗いてすぐ波止場に戻り、次の船でFortに戻ることにした。
帰りも船はすぐに出た。乗り込んだ時にはまだ誰も乗っていなくて、一番奥のほうに立っていたら、次々に人が乗ってきた。その中に、おそらく東南アジア系と思われる40才代の男の人が乗ってきて、この人、船の中に降りたところで頭をぶつけた。で、大丈夫か、などと話が始まった。この人、インドネシアから来たそうだが、もう永住するつもりだそうな。この人、こっちに来て長いらしく、あまり情報がないそうで、ジャカルタの暴動の状況とかを知ってる範囲で教えてあげる。そのうち、近くにいたサイババが髪を切ったような女連れのインド人が話に入ってきた。こいつはインチキ臭く、港に停泊している巨大コンテナのような船を自分で所有して商売していると言う。まあ、それ関係の仕事をしているのには間違いないようで、金もそこそこは持っていそうだが、コンテナ船はどうだか。インドではありえない話ではないが、5分の一程度に聞いておく。こんなそんなで時間はすぐ経ち、10分程度で船はFortに着いた。波止場はいつもの所ではなく、Fishing Netの手前の所。船から降りて彼らと挨拶して別れ、宿に戻る。シャワーを浴びて一休みする。今晩もKathakaliを見に行こうか。Prasadoはいないはずだが、なかなか面白かったからもう一度見ておきたい。同じストーリーを違う役者で見るのも良いが、違うストーリーでもやっていたら、尚いい。
20:25。カタカリ終わって帰ってきた。おとといの黒いメーキャップの役者は、今日は緑の化粧をしていた。でも緑はgoodnessで、ヒーローのはずだったが、この人はまたもや殺されてしまった。役柄とは関係なく、この人のキャラクターなのかもしれない。そんなことはないか。この人、一番面白い。表情とか体の動きがとてもコミカル。全般にカタカリはコミカルな手話劇を大袈裟な衣装でやっているようで、笑える。その中でもこの役者は面白い。表現が豊かと思う。舞台が終わってから、太鼓親爺たちと少し話をして挨拶し、この役者にPrasadoに宜しく伝えてくれるように頼んで、帰ってきた。今晩も舞台が終わると同時に停電になり、帰りの道はまたもや真っ暗だった。
夕食はいつものように、宿のレストラン。最後の晩餐だからと思い、ビールを貰う。飯も贅沢して、この前美味かったVeg. Makhanvala 30Rs.と、ボーイの兄ちゃんお勧めの魚の切り身料理100Rs.、Veg. Biriyani 35Rs.を頼んだ。じきにビールが来た。Kingfisherで、すごく冷えている。インドでこんな冷たいビールを出すレストランは、そりゃ高いのは仕方がない。料理も美味いから良いのだが、もう少し違う店でも食いたかったな。高いから他の旅行者もほとんど来ないし。最後になって判ったが、下にあるガーデンレストラン、昼間はいつも閉まっているし夜も嵐が多くて行ったことが無かったが、天気の良い夜には結構繁盛しているようで、チラッと見えたところでは外人客もいたようだった。蚊がここより煩そうだが行ってみる価値はあった。残念なことをした。インドのビールでも冷えていると美味いもんだ。こっちに来て酒を飲んだのは、最初にRAMADAでビールを1本と、一昨日あのインド親爺達に奢ってもらってブランデーを水割りで2杯くらい飲んだだけ。日本では毎日飲んでいるせいか、本当に久し振りの気がする。でも飲みすぎないようにしないと。美味いからと言ってあまり飲むと、Non A/Cの部屋に戻ってから体が火照って眠れられなくなるかもしれないし。荷物を用意する間に冷めるかな。今晩で居心地良いCochinともお別れだ。明日の朝の便でムンバイに戻る。さっきフロントの連中に、明朝6時にオートリクシャーを呼んでくれるように頼んだら、オートはそんな早い時間には来ない、と言うので仕方なくタクシーを頼んだ。空港まで100Rs.位だそうだ。ムンバイに最初に着いたとき以来、2度目のタクシー。
21:30 食事終了。飯は美味かった。が、かなり残してしまった。“魚の切り身”は確かに名前の通りだったが、焼いてあるのではなく煮たようなものだから、余計量が多い。4~5人で食えるくらいの量。それにビリヤーニも結構多いしVeg.なんとかも充分あるし。本当に勿体無いことをしてしまった。インドの皆さん(除く、金持ち)、ごめんなさい。Prasadoにも悪いことをした。昼間彼がここに来ようとした時に、“ここは飽きたし、高いから。”と言ってErnakulumの安食堂に連れていってもらったが、こんなに残すなら同じ物を一緒に食えば良かった。こんなレストランは、多分彼一人ではなかなか来れないだろうし。でもそんなことはしないほうが良いのか。旅行者の生活とネイティヴの生活は違うし。…やはり、こんなことを考えること自体、彼に失礼な話だ。まァ、日本に帰ったら別な形で、例えば歌舞伎の写真でも送るとかして、感謝しよう。本当に良い奴だったから。
あのアーユルヴェーダのマッサージオイル、かなり強かったようだ。体中に発疹が出てしまった。ところどころ痒くて、最初は、水のシャワーしか使ってないから垢のせいと思っていたが、段々ひどくなってきた。完全にオイルのせいと思われる。昼間街に行った際にも土産にもう一本買おうかとしたが、瓶のラベルを良く見たら医薬品扱いになっていたのでやめた。何が入っているか判らないから、税関とか検疫でつかまるのも困るので。耳とか首の廻りはかなり日焼けしているから、そのせいもあるのだろう。日焼けは早く治まってくれないと、日本に帰って怒られる。困った困った。
もう寝よう。自分の部屋でビールを飲んでいたとこ。22:40。飯食ってから部屋に戻って、シャワーを浴びてからビールを持って来てもらった。55Rs.。相変わらず高い。飲みながら荷物の整理をしていたが、大体終了。おやすみ。

南インド紀行(’98.8.22~29)その3

8月25日(Tue.)
朝は6時ころに目が覚めたが、しばらくベッドの中でごろごろしながら今日の予定を考える。
be554af6.jpegc2f195dd.jpegb44738c2.jpegc0cd4327.jpeg7時前に起きてまず洗濯をし、部屋を出てレストランで朝食を摂る。Poori Masara 25Rs.を頼んでみる。
プーリー(チャパーティーを油で揚げたようなパン)が3枚に、シンプルな芋と豆のMasaraがついてきた。量も朝飯にちょうどよく少な目で、これはまた気に入った。美味い。ここの飯は皆美味い。でも、やはり高い。のんびりするにはこの宿に泊まってこのレストランで飯食って、これが最高だが、バックパッカーには贅沢すぎるかな、とも思う。でも、まあ歳も歳だし、敢えて無理することもないか。リラックスしに来たのだし、少しのスリルを求めるにしても基本的な生活には余裕も持っていないと、本当に疲れるだけになってしまう。現地の生活に身を投じるのも当然楽しいが、余裕を持ちながら出来ることをするのが、本当の旅行か。我慢大会ではない。考えてみると、外人バックパっかはお金は厳しく節約するけど、自分の生活のペースは極力変えないようにしていると思う。何がなんでも安い汚い現地の低いレベルの生活に身を落とそうとするのは、完全に“いっちゃった”葉っぱ漬けの外人か、自虐的な日本人だけかもしれない。今の僕には、今回のペースが余裕を持てる限界のような気がするし、このレベルの生活が、快適さと好奇心、幾ばくかの冒険心を満たす事が出来る、“身分相応のバックパッキング”なのかもしれない。
部屋に戻り、いつものように荷物に鍵をかけて外に出る。9時を少し過ぎた所。Jettyへ着くと、次のErnakulum行きは09:20。ちょうどいい時間だ。今日もいい日になりそうだ。
3a5c6e65.jpeg279ed9bd.jpeg8213be6a.jpeg15分ほどの景色の良い、快適なミニ航海を終え、Main Jettyから歩いて20分ほどのKTDCで地図をもらって時間をつぶし、10時になるのを見計らって向かいのState Bank of Indiaに入る。少し早かったかと思ったが、もう窓は開いていた。この辺も大都市と違ってまじめで気分が良い。大きな街の銀行では、いつも待たされたと思う。30分ほどかかって、$50が2,098Rs.になった。100Rs.は全てピン札だった。店内の案内を見ると、ここはT/CはAmexとThomas Cookしか扱っていないようだ。やはりインドを旅行する際には、このどちらかに限る。
Press Rd.からConvent Rd.を通り、M.G. Rd.に抜ける。この辺は本屋街で、女子学生も多い。皆、肌の色は濃いが、綺麗な娘も時々いる。池袋よりはレベルが高い。Trv.でもそうだったが、この辺は学校が多い。後で調べたら、Kerala州はインドで一番識字率が高いそうだ。M.G. Rd.はCochinのメインロードというだけあり、交通量も多く両脇にはビルが並んでいる。いろいろな店を覗きながらしばらく散歩する。
途中で荒物屋を見つけて中に入る。インドの家庭で使うキッチン用品がたくさんある中、“インド式穴あきおたま”を買う。3種類くらいあって迷ったが、一番シンプルでオーソドックスなのにした。41Rs.。柄もスチールで、長く持っていると手が痛くなるかもしれないが、それなら木でも削って取り付けるか。
4342e051.jpegPadma Theater近くのM.G. Rd.からちょっと脇に入った”Saga Music Palace”でカセットテープも買う。来る時に飛行機の中で流れていた音楽で、2曲ほど気に入ったのがあったので探してみる。SAGARICA / Maaはすぐに見つかったが、Calcuttaは発見できず。仕方なくSAGARICAと、もう一本似た感じのテープをジャケットを見て選び、合せて110Rs.で買う。
その後スパイスを探しに、ひとまずSealord Jettyの近くにあるはずのスーパーマーケットを目指す。M.G. Rd.を少し歩いて海側に向かって路地を入っていったのだが、そこがたまたまスパイス屋通りだった。
047d3639.jpege3911d5a.jpeg4edc7515.jpeg013664d0.jpeg819c43b8.jpeg何軒かある中で、外に机を出してスパイスを並べ店の人も愛想が良さそうなのを選んで話し掛ける。このお兄ちゃん、最初はスパイスを買うのかと思ったようで非常に愛想良かったが、買わないと判ると苦笑い。でも聞く事には答えてくれて、写真を撮る時にも“一応”ポーズをとってくれた。こういう所も、この辺の人たちは優しい。値段を聞いた所、全て1kg単位で、Black Pepper 23Rs.、Clove 80Rs.、Cardamon(high quality)450Rs.、Cumin 38Rs.。安い!が、値段だけ聞いて、買うのはスーパー。こういう店の方が新鮮だし、値段もかなり安いのは判っているが、日本に持ち帰った時にビニールパックされていないと、面倒なことになる可能性がある。仕方ない。結局Sealord Jettyの向かいの高級スーパーでBlack Pepperを買ったが、250gで75Rs.、50gで15Rs.。1kgの換算すると300Rs.だから、町中の10倍以上。でもこれがインドのルールと言うか、日本人からは理解しづらいのだろうが、10分も歩けば同じかそれ以上のスパイスが10分の一以下の値段で手に入るのに、高級スーパーにいくような連中は絶対に行かない。カーストとか宗教とか色々あるが、同じ地域の中でも、彼らの空間ははっきりと別れている。インドも4回目になれば、こんなことは抵抗ないが、その空間の分かれ目はよく判らない。大体は判るが、線がどこに引かれているかは、何となくしか判らないし時々間違える。このスーパーではBlack Pepperの250g入りを3袋、50g入りを4袋、それに水を1本14.90Rs.、合計299.90Rs.n買い物をした。
外へ出て海沿いを歩く。ここは綺麗に整備されていて、横浜の山下公園のよう。アベックや女子学生のグループがのんびりしている。そろそろFortに戻るべくMain Jettyを目指す。途中、大きくて新しいSopping Complexのビルの海に面してる売店で、サモサと渦巻きインドパン、豆のクッキーみたいのとジュースの小さな紙パックを20Rs.で買って、持ち帰るように袋に入れてもらう。

Main Jettyに着いたら13:05、ちょうど船が出たところだった。次は14:00!までない。ここで待とうか迷うが、結構疲れていたので休みたい。座りたい。1時間もこのまま待つのは嫌じゃ。表の道路に戻ると、向かいの道を入った所に”Indian Coffee House”という店がある。よしここで一休み、と思って入ったら、喫茶店じゃなくて昼飯で混んでいる定食屋だった。
まあいいか、と思って後ろの人が食ってるVeg. Biriyaniが美味そうに見えたので、これを注文する。さっき買ったサモサは夜食にでもしよう。Biriyaniが15Rs.、喉が渇いて最初にもらったPepsiが8Rs.、食後のcoffeeが3.5Rs.で合計26.5Rs.。Sealord Hotelの半額くらいか。メニューを見ると、Poori Masalaは8Rs.。これは3分の一か。
2945c36d.jpegこの辺はコメが主食というだけあって、コメ料理がシンプルで美味い。Biriyaniも他の街で食うともっと豪華で、美味くとも高い。ここではどこで食っても同じような盛り方で、コメ以外の材料の比率は少ないが、同じように揚げセンベイのようなPooriのようなのが上に載っている。
今回も、旅行の間に食ったものはなるべく写真に残すようにしているが、ここでも撮るべく、料理が来た時に左前の席で食っていた人が安全そうだったので、カメラを渡して写真を頼んだ。そのとき、なんだかニコニコしてて、いやに愛想がいい。なんだか判らなかったけど写真を撮ってくれてカメラを返してくれて、先に出ていったからまあいいか、と思って食い終えて勘定して外へ出た。
船の時間までにはまだもう少しあるので、またブラブラしようと歩き始めたら男が寄ってきて話しかけられた。この辺には珍しい客引きか、と思って向き直ると、さっき飯屋で写真を撮ってもらった人だ。こうして見ても、まともに見える。商売で寄ってくる連中特有の目の光り方が感じられない。言ってる事が最初は判らなかった。インド訛りのきつい英語で、“自分はgreen conductorだ”とか言ってるが、なんのこっちゃ。暫らくやりとりしてて、“お前、夕べ来ていただろう”と言われて判った。夕べのKathakali Danceで緑の化粧をしていた、ヒーロー役の男だ。全然判らなかった。聞くと、僕が飯屋に入った時に気付いたそうだが、写真を頼んだ時にも僕が気付かないので可笑しかったそうだ。そりゃそうだろう。でも化粧してないから、言われるまで全く判らなかったよ。これは奇遇だ。
喋りながら、しばらく一緒に歩く。彼は名前をPrasadoといい、出身はAllepyで、踊りながらあちこちを廻るようで、Cochinに来てからはもう2年ほどなるらしい。今はErnakulumでhostelに一人で住んでいて、夕方はほとんど毎日舞台があるが昼間は暇なので、朝のうちに稽古をして、それが終わると踊りに関する勉強をしたり他の踊りを見に出かけたりしているが、Kathakaliのほかのメンバーは地元の人で彼だけがよそ者なため、独りでいる時間が多くて結構寂しいらしい。確かに踊りの前のメーキャップの時にも、他の連中はたまに言葉を交わしていたが彼だけは誰とも話さず、ずっと独りでいた。要するに暇で寂しくて、舞台を見に来ていた外人と外で偶然会ったから、声をかけてきたということか。
今日もこれから古典舞踏を見に行くところだったようだが、こっちが暇だと判ると、お勉強はどうでも良くなったらしく、ずっと付き合って喋りながら一緒に歩きまわってた。聞いていると、Kathakaliの他にAyurvedaも勉強していると言う。オイルマッサージは出来るか、と聞くと、OKと言う。250Rs.とのことだが、Ramada Juhuで聞いたら400Rs.だったから、少し高いかもしれないが、頼む事にした。これからでも構わない、と言うので(古典舞踏のお勉強は、とっくにどうでも良くなってる)、マッサージ用のオイルだけ買って、ホテルに戻る事にする。
898ffaca.jpegオイルは、彼が馴染みだと言う店に行って買った。インドにありがちな小さな店だが、お姉ちゃんが可愛かった。ここは一応薬屋のようで、僕が料理用のココナッツオイルを買おうとしたら、Prasadoが、2軒隣の同じような店を教えてくれたのでそっちで買ったが、見た目にはこの2軒の店の違いはよく判らなかった。ココナッツオイルは、小ビン2本で48Rs.。マッサージオイルはPrasadoが買ったが、300ccくらいの瓶で50Rs.。
14:00の船でFortに戻る。ホテルの僕の部屋でマッサージをしてもらった。Ayurvedaはそもそも、体の自主的な治癒力を助け、高めるような、外部から強い刺激をあてる事はしないものだから、そうかとは思っていたが、やはりマッサージ自体は日本の指圧などとは異なり、本当の“マッサージ”だった。オイルを体全体に染み込ませうように丁寧にマッサージをしていくので、指圧のような直接的な刺激になれている身としては少し物足りない。一通り終わってから特につらい、首から肩、内臓の後ろをもう一度やってもらって、40分ほどで終了した。オイルは3分の一ほど残ったが、これはあとで自分で使え、と言う。寝る前とか朝とかに、自分で具合の悪いところによく揉み込んで、5分から10分してシャワーを浴びて洗い落とすようにと。
宿のレストランで、一緒にコーヒーをご馳走する。2杯で15Rs.とはいえ、またもや4杯分くらいある。飲みながらいろいろと話を聞く。まずはKathakaliのこと。Dancerになるには、10才~11才に始めるのが望ましい。最初の4年はメーキャップなしで、ひたすら基本的な練習のみ。日頃のエクササイズはヨガと、トレーニングはカパリヤットと似ているそうだ。ストーリーは何百かあって、そのうち最も長い舞台は6時間から8時間にもなる。Prasadoは10才で始めて今26才。舞台に立てるのは、せいぜい45才くらいまでだそうだ。中には50才を超えた人もいるが、動きが遅くて駄目だと。昨日の、黒いDemonのダンサーは40才くらい、黄色の娘役は21才だそうだ。Prasadoは、独身。Hindhiの男は31才くらいに結婚するのがいいそうだ。食べ物は、普段は野菜類と魚しか食べない。Hindhiと言っても宗教上の問題ではなく、stomach problemだそうな。肉を食うと体が重くなると言う。でも、そうかもしれない。僕も、こっちに来てVeg.メインの食事をしていると体調がいい。インド人の才能があるのかもしれない。Prasadoは、舞台でのデモンストレーションでやっていた、Kathakaliの基本の顔の動きもやってみせてくれたが、これは可笑しかった。メーキャップしてやることだから、素顔でやっていると変。Strange。
最初Prasadoは、明日は日帰りでAllepyまで踊りに行く予定だ、と言っていたが、異国人と知り合いになれたのが嬉しかったらしく、仕事をキャンセルするから明日も一緒に街歩きをしようと言う。案内させろ、と言う。まあ、こっちも暇なことだし、OKする。明朝10時にホテルに迎えに来ると言うので、待っていることにした。一時間ほど喋っていたが、16:00を過ぎて、Prasadoは帰っていった。今日も舞台だ。僕は今晩は、夕べの親爺たちを待たなくてはならない。あてにはならないが、一応約束を受けてしまったから。それまで部屋でゴロゴロしてよう。

19:00 宿のレストランで。
しばらくごろごろしたが眠れず、仕方なく洗濯をしてから気分転換にコーヒーを飲みに来た。おじさんたちは来るかどうか。インドでの約束なんかあてにはしないから、来なかったら来ないでも構わないが、せっかく待つのなら来てほしいね。今回の旅はいろいろなインド人との接触がある。それらしく言えば、“出会いがある旅”とでもなるのだろうか。
21:40 20:30の約束だったが、1時間待っても来ないので諦めて宿のレストランに上がってきた。万が一来た時のことを考えて、これから出掛けるのは嫌だったので、宿の入り口の親爺に、“彼らが来たら、一時間待っていたが諦めてどこかに出かけて行った、と言っておいてくれ。”と頼んでおく。結局1時間半くらい無駄にした。来なかったのは覚悟してたから気にならないし、昨夜既にかなり奢ってもらったから構わないが、この時間ならKathakaliにもう一度行けた。舞台見てから戻ってきて、少し待っていれば良かったか。でも宿の前でずっとブラブラしているのも、それはそれで面白かった。
最初フロントに降りた時、イギリス人の女の子二人がフロントのお兄ちゃんに食って掛かっていた。かなり揉めているようで、こんな時の外人は怒り方がすごい。二人にどうしたのか聞いたら、彼女らは昨夜ここに泊まって今日はもっと安い宿に移ったそうなのだが、ここのホテルのフロントを通して頼んでおいた洗濯物を取りに来たら、料金が高すぎる、払えない、ということらしい。フロントのお兄ちゃんは取り次ぎをしただけのようで、困りながらサンドバック状態になっていたが、すぐに洗濯屋本人を呼ぶ電話をかけた。
じきに洗濯屋が来たが、お姉ちゃんたちの怒りは更に増して、洗濯屋の親爺を物凄い勢いで攻撃している。”I’m not a fool!!!”とか怒鳴っている。“馬鹿にすんじゃないのよ!なめんなよ!”といったことか。怒鳴りながら時々僕の方に顔を向けて、こっちには“あたしたち、学生だからお金がないの。騙されている被害者なの。”なんてことを、弱そうな顔して訴える。オブザーバーとして無責任に見ていると、どう見ても洗濯屋の親爺が袋叩きにされている。最後はやはり彼女らの圧勝だったようで、親爺は不貞腐れてブチブチ言いながら彼女らが出したお金を受け取って、帰って行った。
この娘たち、Bangaloreで英語を教えているそうで、その合間に2週間の休みを取って旅行をしていると言っていた。多分、イギリスの学校はしばらくお休みしてんだろうが、この辺は学生にせよ社会人にせよ、外国はうらやましい。でもとにかく強かった。彼女らが鼻息荒く肩で風切って暗い道の奥のほうに消えて行ってから、フロントのお兄ちゃんに“本当はどういうことだ?あの親爺があんなされるほど、一方的な話だったのか?”と聞いたら答えるに、“あの洗濯屋は、よく料金を倍にして請求してるんだ。困ったもんなんだ。”だって。笑ってしまった。でもこういう情報こそ、“地球の歩き方”とかに投稿しないと。“じゃあ、彼女らはGood Fightをしたんじゃないか。”と返したら、“そうだ、Good Fightだった。”と苦笑いしてた。
この騒動が終わって、フロントは急に静かになってしまった。まず宿代の残りの2泊分の660Rs.を払う。その後は入り口の親爺とフロントの兄ちゃんと、3人で前の道路を通る人やリクシャー、トラックを見ながら喋っていた。ここの道は狭いのにトラックがよく通る。はす向かいにあるのはコメの加工所か小売りの倉庫か知らんが、ここによく、コメの袋らしき荷物を積んだ派手なトラックが出入りする。トラックはすべてTATA製。色はギトギト。通る人も皆、あたりが柔らかい。他の街のように外国人にとりわけ興味を示す、というほどではないが挨拶すると返してくれる。これも、歴史的に異邦者に慣れているせいだろう。
984259c1.jpeg上に戻ってきて、レストランで飯を食う。こういう時間になると、やはりここで食わざるを得ないが、これがこの宿の数少ない不満点。この時間でもErnakulumなら開いている飯屋も多いだろうに。この廻りは本当に何もない。飯時に宿にいると、そりゃ他には行けんわ。仕方ないが悔しい。ふ~。今日もVeg.で軽目にしようと思い、Al Gobi 30Rs.とPlain Rice 20Rs.を注文する。しばらくして来たが、かなり辛い。美味いには美味いが、昨日のVeg. Makhanvalaのほうが好きだ。実は最初、魚が食いたかったのだが、ボーイの兄ちゃんが勧めるのは一番安いのでも80Rs.と高いので、飲み物もやめて基本セットにした。これでも高いよね~、ここは。
23:15 お腹も一杯になったから、もう寝る。
80d824c3.jpeg外はまたどしゃ降り。今日、昼間は天気がとてもよかった。カセットテープ買っている時ににわか雨がドッと降ってきただけだった。毎日、夜になると嵐。暴風雨。日本の10年に一度のひどい台風みたい。

南インド紀行(’98.8.22~29)その2

8月24日(Mon.)
06:41 今、電車の中。Kadakavur(カダカヴール)に停車中。
33809ab2.jpeg時刻表を見ると、次のVarkala(ヴァルカーラ)に06:40に着く予定。少し遅れている。Triv. Centralからここまでに駅は4つあったはずだが、外を見ていても良く分からず、壊れた駅の残骸のようなものが一つあっただけだった。
夕べは思ったより良く眠れた。天井のファンがうるさく、スイッチを弱にしても風が強かったが、洗濯物を干していたので止めるにもいかずとても不安だった。こんなところで風邪を引いたら大変だと心配して寝られないかとも思ったが、昼間のうちに買っておいたショールが大当たりで、熟睡できた。途中、ファンがうるさくて夜中の2時ころに目が覚めたが、それだけ。そのうえショールのお陰か、ファンのお陰か、夕方から焚いていた蚊取り線香のお陰か、蚊に刺されることもなく、夢も見なかった。こちらの雨期は確かに湿気が多く、昼間は蒸暑い。が、日本と違ってコンクリート熱も無いので、朝晩は涼しい。洗濯物が乾かないのは難儀するが、快適だ。因みにこの部屋にはシラミがいるかと思ったが、いない。インドの安宿にこれまで何泊したかわからないが、蚊には時々会うけれどシラミには会ったことがない。インドでも最近は減ったのか、日ごろの行いがよろしいのか…。
今朝は05:00に起きた。駅まで行って切符が取れなかったら次の列車まで待たねばならず、出来ればチェックアウトしないで荷物もここに置いて行き、切符が取れたら戻って荷物を取ってから乗るようにしたいが、この時間だともう行って戻れないから、行くならチェックアウトしてからということになる。しかしそれで切符が取れなかったら困る。こんな真っ暗な早朝に駅でずっと待つならもう少し寝てからゆっくり行くか。そんなことを迷いながら着替え、結局そのまま宿をチェックアウトして駅まで急ぐ。まだ日は出る前で、外は真っ暗。でも早くCochinに行きたくて、ウキウキしながら足を速める。頭の中でビージーズのIn the Morningが流れる。駅に着いて、当日の切符売場の窓へ向かう。昨日、お姉ちゃんがいた窓。でも今日いるのは、真面目そうなおばちゃん。心配は無用だったようで、06:00発の№6349,Trivandrum Mangalore Parasuram ExpressのFC(First Class)の切符はあっさり取れ、席の指定はなかったが座席も空いていた。切符を買う時に窓のおばちゃんが、この列車はFCと2ndしかないと言うからFCにしたのだが、実際にはFC A/Cがあって、金持ちが数人座っていた。移ろうか迷ったが、雨のせいでそれほど暑くはなさそうなのでnon A/Cにそのまま座ったが、結果としてはこれで正解だった。朝が早かったので非常に眠かったのだが、空いた窓からずっと外の流れて行く光景を見ていて、それが面白くてほとんど寝ることが出来なかった。切符は294Rs.。結構高いが、これがA/Cになると更に倍くらいする。金額は最初、外国人旅行者用の価格で現地価格より高いと思った。が、local timetableの最後についている料金表を見ると、fixed priceだった。Triv. Central StationからErnakulum Town Stationまで223kmだから、料金表の221kmから225kmの欄を見ると、ExpressのFCは294RS.。間違いない。これが1A(A/C First)が796Rs.!!、2A(2Tier A/C Sleeper)が470Rs.。A/Cは非常に高い。ついでに見ると、SL(Sleeper Class)88Rs.、Ⅱ(Second Class Chair Car)61Rs.。Ordinary(普通列車)のⅡは、なんと33Rs.。同じ距離を行くのに、20倍以上も違う。こんな時に、インドの階級制度を強く感じる。日本では考えられない。これが単に値段の差だけではない。“低いランク”の人たちは少しくらいお金があっても、上のレベルには近寄らない。逆に“高いランク”の人たちは、下のレベルが安かろうが、快適だろうが、どうあってもそこに入ろうとはしない。このような感覚は話しても判らない。こうして自分の目で何度か見て、やっと理解できるようになってきた。そのルールに従うことも判ってきた。
外ばかり見ていたら、Varkalaに着いた。この辺では20分くらい遅れている。外の景色は素晴らしい。Back Waterそのままの水路やら湖やらが出入りして、陸地はヤシの木で覆われている。集落がポツポツと現れては消えて行く。インドで列車に乗るといつも感じることだが、こんなに広い国で長距離の移動をしていて、街からはかけ離れた所を通っているのに人の気配が途切れない。この国には実際どれだけの人口があるのだか。でもそれら集落の家にもすべて格差がある。小さなものは5~6軒、大きな所は20軒以上の家が集まっているが、一目で見ても“偉い人or金持ちの家”と“下級or貧乏な家”が判る。水辺が多い地域だが、高いところに大きな綺麗な家があり、低い水に近いところや線路脇には小さな家や泥だらけの家、中には水没している家もある。インドではムンバイのような大都市から、こんな田舎の隅のほうまで、至る所で“格差”を目にする。
b2197773.jpegさっき、Triv.を出てすぐに“駅弁”を売りに来た。軽い朝食で、薄っぺらい食パンにオムレツを載せたのが9.75Rs.、コーヒー3Rs.。オムレツは、中に生のグリーンチリが入っているほかは日本にもありそうなオーソドックスな味だが、このチリが辛い。でもこれが美味い。北インドではチリペッパーは赤いのばかり、それも乾燥させたのが多かったと思うが、こちらではほとんど全ての料理に生のグリーンチリが入っている。たまに料理の中に赤いのも見えるが、全て乾燥もの。全部ではないが、料理はグリーンチリを除けば辛くないものが多い。そこで安心していると、突然ビリビリっとやってくる。胃には悪いのかもしれないが結構病み付きになり、気に入ってしまった。少ししてマトンライスを売りにきて、とても魅力的だったがさっき食べたばかりなので諦めた。
07:30 Quillon(クイロン)着。当初の予定では、ここからAlleppy(アレッピー)まで、Backwater Tourで船に乗って移動するつもりだった。約8時間のノンビリする旅が、2時間弱の味気ない列車行になってしまった。(と言っても、この列車自体はとても楽しい。船に比べれば、の話。)残念だが次回に期待したい。列車は15分ほど遅れているが先ほどより少し取り戻している。インドらしくない。有り難いのだが、どれくらい遅れるかと覚悟(という期待を)していたので、少しがっかりする。
08:50  Tiruvalla(ティルヴァーラ)着。遅れは10分までに縮まった。
8370f5e0.jpeg時々弁当やらコーヒーを売りにきて、その度にそわそわするが我慢していた。でもこの辺が行程の大体半分と思い、コーヒーをもらう。3Rs.。南のほうはコーヒーが多いが、それを“チャ~イ、チャイ”と言って売っている。“チャイ”とは紅茶に限らないものなのか。このすぐ後に、豆とチリの入った芋団子のようなスナックを売りにきて、食す。小さなのが3個で9Rs.。上にチリ入りのケチャップのようなソースがかかっていて美味い。外は明るいが雨が降っている。南インドのお天気雨。
09:25 Kottayam(コッターヤム)に着いた。
すごい。ずっと10分位の遅れで走っていたが、ここには2分も早く着いてしまった。信じられない。どこの国のことやら。更に不思議なのは、ここの一つ前のChenganacheri(チャンガナーチェリ)を通過したのは08:51の予定に対して09:00、それなのにここには09:27の予定に対して09:25!!!!。36分で来るところを25分で来てしまった。やれば出来るじゃないか!でも、それまでも一生懸命走っていたのに・…。相変わらずワケわかんない国だ。
 
列車は11時過ぎにErnakulum Town Stationに着いた。駅からMain Jetty(主たる桟橋)までAuto Rickshawに乗ったのだが、最初声をかけてきたのは、既に一人乗せていて相乗り客を探している車だった。20Rs.だと言っていて、話の様子からほぼ妥当な値段だろうとは感じたが、相場を知るために断る。で、次に少し離れたところでボーッとそている運ちゃんを見つけ、こちらから声をかけたところ25Rs.。一人乗車の相場はこんなものと思い、交渉成立。5Rs.の損かもしれないが、運ちゃんが人懐こく、名前はRaheem、25才と言っていたが、Jettyまでずっと喋っていってとても楽しかった。でもインドの運ちゃんはこいつに限らず、運転しながら後ろを振り向いてしゃべりまくる奴がいる。まァ、事故に遭ったことも無いので皆それなりに注意はしているのだろうが、結構恐い。時々冷や汗が出る。
Jettyに着いて少し待って、11:45のボートでFort Cochin(フォルト・コーチン。コーチンの旧市街部。インドの街は、新旧に別れていることが多く、旧市街を探す時は“Fort Area”と言えばたいてい通じる。)に向かう。1.60Rs.。途中はまたヤシの木に囲まれた穏やかな水面を、遠目に見たらおそらく流れるように、乗っている身からしたらバタバタと、進んでいく。船は当然ボロで、中ではエンジンが剥き出しになっている。バスや電車と同じく、前のほうに女の人が固まって乗り込んでいる。窓がないので風が心地よいが、海が荒れた時は恐いかもしれない。後で知ったのだが、雨が降ると青いビニールシートを窓に貼り付ける。阪神大震災の時にみんな屋根にかけた奴。でもそれを準備する間に席はビショビショになって座れなくなってしまうが。
15分ほどで船はFort Jettyに到着。そのまま目指すHotel Seagullに向かう。ここはLonely Planetで見つけたのだが、バックパッカー用にしてはちょっと高い。しかしKeralaでは海の見える部屋でのんびりしたいと思っていて、まさにその欲望を満たしてくれる、目の前が海で窓からChinese Fishing Netが見える、ロケーション抜群のホテルがここらしい。Jettyから一番近いということもあり筆頭候補にして、部屋を見てから考えることにする。
Hotel Seagullに着いて部屋を見せてもらう。最初の部屋は小奇麗だが、窓が無い。シャワーは水だけ。これで220Rs.。部屋は悪くないが、海が見えないならここにこだわることはない。それならもっと安いところがあるようだし。次に見た部屋が気に入った。330Rs.だが海に面したレストランのすぐ手前で、窓からChinese Fishing Netが見える。Non A/Cだが風通しが良さそうで、シャワーには小さなボイラーが付いているからお湯が使える。一応ツインルームで、ベッドが二本置いてあるので広く使えるところも気に入った。他はもう見ずに、ここに決めてしまった。
529e80e3.jpeg99667ab8.jpeg0c0d5364.jpegフロントに戻ってチェックインして部屋に入る。料金はひとまず一泊分を払っておいた。蚊が多そうなので、すぐに蚊取り線香を焚いて洗濯。洗剤とお湯を使い、初めてまともに洗濯をした。
一休みして部屋から出る。帰りの飛行機のreconfirmをしなくてはならないので、フロントで電話を借りようとしたが、ここのホテルからはlocal phoneしか出来んという。CXはムンバイのofficeしか番号が判らないので仕方なくJettyの横にあった売店のSTDに行く。しかしここからかけたムンバイのCXは、お休みだというテープメッセージしか流れず、他の連絡先も判らない。困っていたら売店のおやじがCochinにあるCX officeの番号を調べてくれた。有り難い。しかしここにかけたところ、予約はされていないと言われた。あせったが、もう一度確かめてもらったところ、OK。日本人の名前がよく分からなかったようだ。結局、ムンバイまでの無駄な数十秒の通話料が27Rs.で5分近く話していた市内通話が2.70Rs.。お礼を言って30Rs.払ってきたが、最初から市内のCXの番号が判っていればコーヒーを何杯も飲めたのに。
5746d824.jpeg1dcac6bd.jpeg朝早くから動いていたせいで少し疲れていて眠かったが、外へ出たついでにと思い散策をする。ところがちょっと奥のほうに歩いてKathakali Centerの手前まで来たところで急に雨が降ってきた。見る間にどしゃ降りになり、近くにあった農作業小屋のような建物の軒下でしばらく凌いでいたが、空の色がかなり暗いのでまだ降りそう。ひとまず降りが弱まったところを見計らって宿に戻ることにする。ホテルで仕方なく、また昼飯も食っていなかったので、部屋の前のレストランで一休みとする。今、午後2時。
aec074a3.jpegeb2d2460.jpegMutton Biriyaniを食いたかったが無いと言うので、Grilled Fish 100Rs.とPlain Rice 20Rs.、コーヒー7Rs.を頼む。魚が手間なのか、30分ほどしてやっと来た。先に来ていたコーヒーがとっくになくなっていたので、お代わりを頼んで、いざ食す。外は相変わらず、台風のような雨風。魚は美味い。マナガツオのスパイス焼きのようなものだが、魚が新しいようで、口触りは日本のあっさりした焼き魚と変わらない。白い飯と良く合って、量は多かったがほとんど全部食べてしまった。インドの米はいろいろある74e65c1e.jpegが、このようなチョットまともな飯屋で供するオーソドックスな米は長粒種。でもタイ米よりはるかに長い、極長粒種。
このレストラン、全般に量が多い。コーヒーもカップで頼んでるのにポットに入れてくる。カップに2杯くらいはある。最初は間違えたのかと思ったほど。ここのポット・コーヒーは一体どれだけ持ってくるのか。全部で145Rs.だった。かなり贅沢。やっと雨が上がって、明るくなってきた。
4cad74ad.jpeg飯代払って、残金は300Rs.強。夕べの段階で1,000Rs.あったから、700Rs.くらい使ったのかなと思ったのだけど、電車が295Rs.、宿代が330Rs.、さっきの飯が145Rs.、Auto Rickshawが25Rs.それに船代だと合計で800Rs.くらい使ったはず。あれっ、おかしい。お金が多い。100Rs.得した気がする。こんな国では有り得ないんだけど、こんなこと。いずれにせよ、明日の朝にでも銀行へ行って両替してこないと。宿代の残りも払わなくてはならないし。今晩はKathakali Danceを見に行こう。


20:20 Kathakali Danceをみて、今帰ってきた。
b15c3b00.jpeg6e877c78.jpeg午後は散歩がてらChinese Fishing Netまで行った。昔中国から伝わったと言うこの漁法は、遠目に見る景色としては素晴らしい。しかし近くに行くとボコボコ。丸太を雑に組みあわせてロープで括り、重しとして石をたくさんぶら下げてある。夕方の16:00過ぎに行ったがちょうど魚を揚げたあとで、様々な魚が籠に入っていた。これ、こんなに大袈裟なものなのに、近くで魚を捕っている様子を見ると、可哀相になる。こんな大掛かりな道具で、一回に取れる魚は小さな手網に半分も無い。これを一日に何度も何度も繰り返し、生計としている。あくまでも遠くから見るものだね、これは。
奥の方に行くと取れた魚を売っている小屋が並んでいる。沖に出ていった船の獲物も持ってくるようで、かなり大きな魚も売っている。Netで取れているのは、キスやサヨリ、鯒、等の小魚ばかり。基本的には鯊のようだけどアナゴの尻尾に大きな頭をつけた、人相の悪い赤い魚もいる。小魚ばかりと言っても、こんな目の前で取れるにしては大物ばかり。沖から持ってきた魚は、マナガツオとかハタの類とか、美味そうな魚ばかり。他にもロブスターや蟹もいる。今度ゆっくり来れた時には、ここで魚を買って自分で料理してもいいかもしれない。値段は聞かなかったが、地元の人も買いに来ているから、そんなには高くはないのだろう。本来は、こんなのが市場の始まりなのだろう。魚を捕っている、そのすぐ目の前で売っていれば、魚を買いたい人はすぐ分かる。
44aef36c.jpegここに魚を買いに来ていた家族と仲良くなった。夫婦と3才くらいの子供との3人で来ていて、この男の子が可愛くて、この子と仲良くなって写真を撮って、結局家族みんなと一緒に写真を撮ってきた。現像したら焼き増しして送る、と約束して住所も聞いてきた。Mr.Shamla.Py 13/627 Shamla Manzil  K.C.Road, Chullickal, Cochin-5。地図で見ても場所が分からないが、近くらしい。インドの人は、金持ちや特に商売がかっている人を除いては、皆写真を撮ると喜ぶ。そう言えばJuhu Beachにもポラロイドカメラを持ってウロウロして観光客に声をかけているのが何人もいたし。
ca904c53.jpeg一度宿に戻ってKathakaliのチケットを買ってから、Kathakali Centerに出かける。チケットは70Rs.。最初に宿で聞いた時に70Rs.とは言っていたが、Netに散歩に行く途中にK. Centerの前を通るので、念のため値段を確認しておいた。Centerはまだ開いていなかったので、入り口の横の屋台のオヤジに聞いた。
17:00からメーキャップ、18:30ころから舞台ということで、舞台だけ見ればいいかなと少し迷ったが、せっかくなので全部見ることにする。
17:00少し前に行って門を入ると、小屋の入り口のところに上半身裸の、明らかにDancerと判る顔つき、体つきのがっしりした男が立っていて、話し掛けたところ、やはりそうだというので、素顔を写真を撮らせてもらう。Kathakali Centerといっても小さな小屋程度の場所だが、その中に入ると小さな舞台の真ん中で小柄な男が既にメーキャップを始めていた。ゴザのようなものを敷いた上に胡座をかいて座り、手鏡を見ながら顔に模様を描いている。まあ慣れたもんで、緑、赤、黄、の顔料を使って線を綺麗に書いていき、その上で色を塗っていく。しばらくすると先ほど入り口にいた男も入ってきて、横に座って塗り始めた。別な男が舞台の隅に座ると、最初に始めていた男がその足の上に頭を載せ、白い糊状のペーストで白い化粧と、更にKathakali特有の顎のエラ飾りをつけていく。見ていると、薄い発泡スチロールを顔の形に合わせて切って形を整え、この白いペーストで貼り付けていく。この男は緑を基本とした化粧に白いエラ飾り、2番目の男は黒を基本とした化粧でエラ飾りは無し。最後に入ってきた一番若い男は黄色に赤を少し混ぜた程度の色で自分の肌を塗りたくっていたが、模様はほとんど無し。この人、白いペーストも塗ってもらえない。一時間ほどやっていて3人はひとまず舞台から降りていった。
5cff4907.jpeg待っている間に白い紙が配られる。ストーリーの要約を英語で書いた紙。少しして、紙を配ったこれも上半身裸の男が舞台で挨拶と、簡単にKathakaliの解説をする。Kathaはstoryで、kaliはplayだそうだ。メーキャップに使っている色はすべて自然の顔料を使っていて、緑はIndigo、赤と黄色はその色の石をヒマラヤから取ってきてこれを石板にたらしたココナッツオイルで擦って色を出す。黒はオイルランプの脇に置いた石に付いた煤。白は米を水で練ったペーストだそうだ。彼らは顔の表情を目立たせるため、目の中にも顔料を入れて赤い色をつけるそうだが、この色は花の種をつぶして作る。確かに目が血走ったような色をしていたが、自然の顔料だから、健康に悪影響はないといっていた。色にはそれぞれ意味があり、緑はgood、黒がdemon、赤はcruel、黄色はfemale。白はnatural。さきにメーキャップしていた3人も、緑がヒーロー、黒い顔が悪魔、赤味がかった黄色は女の人の役。続いてデモンストレーションが始まる。まずは打楽器。挨拶した男が小さなシンバルをカスタネットのように使い、もう一人がコンガのような太鼓を叩く。二人でいろいろなパターンのリズムを聴かせてくれる。次に女のメーキャップしたのが舞台に上がり、Kathakaliで使われる様々な表現方法、主に顔の動きと手先の動きをシンバル男の解説にあわせながらやってみせる。一通りやった後でこれらを組み合わせて、お父さん、お母さん、お姉さん、お兄さんから象やらコブラやら、川の魚やら王様やら様々な動き、また哀しみの表現やら怒りの表現、穏やかな“あちらへどうぞ”から普通に“あっちへ行って”、更には激昂しての“消え去れ!”まで、あらゆる表現をしてみせる。基本的にコミカルな動きが多く、向こうは真面目にやってるのだろうが、結構笑える。
4e287f1c.jpeg本番が始まったのは19時近かった。Kathakaliは難解だと聞くが、解説を読んでいたせいかストーリーは問題なく理解できた。まあ水戸黄門じゃあないが、悪魔の娘が神様の息子のヒーローを好きになって迫るが相手にされず、最後にはその本性を現して退治されてしまう。コミカルな手話劇を見ているようで、特に黒い化粧の悪魔は、この人のキャラクターなのかもしれないが、仕種がとても可笑しい。ダンスは20時ちょうどに終わり、その後で顔料の石を見せてもらったり解説の続きを聞いたりして、帰ってきた。帰りは停電で真っ暗。ダンスが終わったのと同時に自家発電機の音が聞こえたし、Triv.で経験していたから驚きもしなかったが、今回は車も走っておらず月も出ておらず、本当に真っ暗な田舎の道を20分くらい歩いて帰った。慣れれば暗闇というのは心地よい。最低限のものだけが見えて、神経が研ぎ澄まされていく感じ。宿に辿り着くと、ここは流石に発電機があるようで明かりが点いていたが、これが付近で唯一の明かりだった。
そのまま部屋の前のレストランで軽く夕飯を食うことにする。ここばかりで食べたい訳ではないが、周りに何もないのでいつもここになる。まあ部屋のすぐ前で便利だし、そこそこ広いのでのんびりできる。この店には少し金を持っているようなインド人が酒を飲みに来ている。夜になると薄暗く、他の街よりは自由なのだろうが、やはり酒を飲む所は後ろめたさのような雰囲気がある。
436261ed.jpegVeg. Makhanvala 30Rs.とChappathi 4Rs.を2枚、それにコーヒー7Rs.をもらう。昼間贅沢をしたから今回はシンプルに。でもそもそもこの食堂自体が高いけどね。Veg. Makhanvala はオーソドックスなVeg. Masalaという感じで、Spicyにしてくれと注文したせいで少し辛かったけど、美味い。Chappathiもシンプルだが、焼き加減がちょうど良く、気に入った。なぜこんな簡単でシンプルなもの、日本で食うと美味くないのだろう。今回の飯は“インドの飯の基本”という感じで、非常に満足した。
ゆっくりできる宿を見つけてほっとしたせいか、疲れがどっと出てきた。Kathakaliを見ている時もコンタクトが痛くなってきて辛かった。明日は最初に銀行に行かなければならないが、他には特に予定もないので朝はゆっくり寝よう。目覚ましもかけない。目が覚めたら起きて、洗濯してから銀行にいって、午後はErnakulumを散策しようか。お腹もいっぱいになったから、そろそろ店を出てシャワー浴びて寝よう。外は嵐。
23:30 大変だ、大変だ。さっき、食い終えて勘定を頼んでいる間に斜め後ろのテーブルの上の天井板がはずれて落ちてきた。発泡スチロールのペラペラの板だからぶつかっても怪我する訳ではないが、風が強く吹き込んでくるたびに天井がバタバタして、それが続くと段々外れてきてそのうち落ちてくる。危なくはない、と言っても落ち着いて酒を飲んでいる状況でも、少なくともない。そのテーブルでは最初からインド人のネクタイしたおじさんが二人で酒を飲んでいたが、この人たちも天井を見ながら落ちてくる板をよけている。一緒に“こりゃひどい”とか“こんなもん、ぶつかっても危なくもない”とか言って騒いでいたら、そのうちに風がおさまってきて、そしたらおじさんたちが“こっちのテーブルに来て一緒に飲もう”と言う。それならちょっとだけ、と断って参加した。
389eb375.jpegこの人たち、ウイスキーかと思ったらブランデーを飲んでいる。僕も水割りで3杯ほど、ご馳走になった。話をしていると、右のインテリっぽい人はMr. Manohar(マノハール)、60才くらい。ファイナンス関係の仕事をしていて、男・男・女の3人の子供がいるそうだ。長男がMBAとってUSA、次男はロンドンにいるらしい。もう一人の、“まさに南インド人”というひとはMr. Viswanath(ヴィシャナート)48才。この人は金のディーラーで子供は同じく3人、女・男・男。長女は20代前半、長男はエンジニアになるためにシカゴで勉強中、次男サービス関係の仕事をするべくこれまた勉強中ということ。マノハールさんはクリスチャン、ヴィシャナートさんはヒンディーだが、とても仲が良く、いつもこうして仕事の後に飯食ったり酒飲んだりしてるそうだ。マノハールさんは大学を出てUSAにいたこともあるそうだが、ヴィシャナートさんは学歴がなく、本人はこれを非常に気にしている。このひと、後半はかなり酔っ払っていて(泥酔状態のインド人は、なかなか見れない。)、やたらとはしゃいで“日本でも商売したいがコネがない。お前と知り合いになれたから売れそうなものがあったら連絡しろ。スパイスでも豆でも金でも、すぐ送るぞ。ガッハッハ!”なんて言ったかと思うと、急に落ち込んで“俺は学歴ないから駄目なんだ。”なんて、僕の腕を掴みながらマノハールさんのことを恨めしそうに睨んだり、喜怒哀楽が激しいが根は単純で悪人ではないようだ。マノハールさんは酔っていたのだろうが、まともに話をしてくれて、インドの宗教とか言語とか地域性とか、色々とためになることを教えてくれる。そうこうしているうちにヴィシャナートさんが、“明晩、Malabarで飯を食わすから、夕方ホテルで待ってろ。”と言い出した。Malabarというのは、Taj Mahal系列の、Cochinで一番いいホテルなのだが、この人かなり酔っているので断ろうとしても許してくれない。マノハールさんに助けを求めても、自分も一緒に行くから、とヴィシャナートさんの味方をする。結局断りきれず、明晩20:30にホテルで待っている、と約束してしまった。当然こっちも初対面の人を信用している訳ではないし、ましてや酔っ払いの戯言なので、半分も期待はないが、このヴィシャナートさん、英語の訛りはひどいし、性格的にも長く話していると疲れるが、人間自体は悪くなさそうだ。明晩来なくても、酔った勢いで旅行者に良い顔したがっただけ、と思うからいいでしょう。結局、解散したのは23時過ぎ。シャワーを浴びて寝る。
この二人に教わったMalayalam language。
Water – ベンラン、Give me water – ベンラン・コンドア、come – バーバー、Come here – バーバー・イブデ、1 – オンヌ、2 – ランrー、3 – ムーヌィ、4 – ナーr、5 – アンチー、6 – アーrー、7 – エーリ、8 – エットゥ、9 – オンブドゥ、10 – パットゥ、など。rはすべて巻き舌で。発音が結構難しい。

南インド紀行(’98.8.22~29)その1

8月22日(Sat.)
08:40 成田空港にて
いよいよ出発。今朝は5時に起きて、池袋始発6時の“成田エクスプレス1号”に乗り、7時半に成田空港に着いた。そのままCX(キャセイ・パシフィック)のカウンターでチェックイン。まだ混んでいなくて、すぐに済む。ここのカウンターのお姉さん、見た目がアジア人で、英語で不機嫌そうにいろいろ聞いてくるので、てっきり香港人と思っていたけど、最後に名札を見たら日本人だった。何なんでしょ。
荷物も預けてしまい、空港内の“Coffee Shop Royal”で朝食をとる。“モーニング・カレー”とコーヒーで、\1,575-。う~ん、高い。しかし、そう感じる自分が“旅モード”に入っていると思うと、安心する。
 
17:45 バンコク空港  (at Bangkok, -2 hrs from Japan)
 香港でCX509からCX751に乗り換えた。今バンコクの空港で機内清掃中。もうそろそろ出る時間だが、まだかかりそう。香港でも機内に入ってから30分くらい待たされたから、そのまま遅れている。
最初に成田を出てからもう10時間近く経っている。香港での乗り換えで少し外にいたとは言え、もう疲れた。まだこれから4時間かかる。飛行機は飽きる。機内食も、日本に近いところは日本人向けの味付けになっていて、マズイとは思わないがつまらん。
香港は雨だった。中国も南部は雨期か。先月オープンしたばかりという新しい空港は流石に大きかった。乗り換えも比較的判り易かったと思う。可笑しいのは、各搭乗ゲートの行き先表示盤に出るのが、英語と中国語。ムンバイが孟買、ドバイが…何だっけ?
この飛行機、ここバンコクを出たあとムンバイ(旧ボンベイ)ヘ向かうが、それが終点ではなくドバイまで行く。この辺りでは、乗客もインド系75%、アラブ系20%、残りの5%がアジア、欧米系という感じ。
機内アナウンスの棒読み英語はほとんど判らない。言語明瞭ではない。機内ビデオの“タイの観光特集”はかなり聴けたが。
やっと動き出した。10分~15分の遅れか。
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19:50 機内      (India, -3.5hrs from Japan)
もうすぐムンバイ。あと20~30分か。今日はホテルに着いたらすぐ寝るつもりだ。明朝はゆっくり出来るので、よく休養を取って以後に備えよう。帰りの飛行機のリコンファームだけはしておかないと。それと明日Trv.(トリヴァンドラム)に行く飛行機の出発時間が10:40から12:15に変更されたようなので、念の為朝一番にその確認もしないと。
 
結局、飛行機はムンバイのサハール国際空港に20:05頃と、予定より若干早く着いた。Immigrationとかで止められるなくこともなく、順番に流れて20:50頃外に出てきた。空港内のThomas Cookで両替する。$50-が2,090Rs。1Reが\3.47-位か。2年前は3円位だったと思うが、間接的にせよ、インド・ルピーに対しても円が弱くなっている。日本は核も持っていないし。インドと戦争したら負けるだろうな。
空港から、Juhu Beach(ジュフ・ビーチ)にあるこのホテルまではプリペイド・タクシーを頼んだ。Non A/C(エアコンなし)で130Rsだが、前に並んでいたCXのスチュワーデスのお姉さんが“この時期はA/C(エアコン付)よね~。”というので、贅沢と思ったが、試しにA/C Car 160Rsに乗ってみた。確かに快適。着いてすぐの時は、体がまだインドに慣れていないから、こんな贅沢も保険と思えばいいだろう。
空港からここまでは30分くらいだったが、その短い間に感じたのは、“インドは以前よりマシになった”ということ。車の中のエアコンのかけかたが以前のような“常に最強モード”ではなく常識的になったし、例のごとく途中で助手席に乗ってきて途中で降りた男も礼儀正しかった(よくある。慣れないと驚く。慣れても当然警戒はする。今回のようにキチンと挨拶するのは珍しい。ヒドイのは、本来の客であるこちらを全く無視して乗ってきて挨拶もしないし、友達である運転手と大声で話をして、挙句の果てに、そいつのために遠回りしようとすることもある。)し、走っているときにも、他の車も含めてクラクションの鳴らしかたが穏やかになっているようだし、走っている車は多いけれど皆マトモな運転をしているし。まあ、この辺は高級住宅地のようだから、そのせいもあると思うが。
 
22:55 “Ramada Hotel Palm Grove”の部屋の中
今一息ついて、Murg Chaat(ムルグ・チャート80Rs.)とBeer(100Rs.くらい)をルームサービスで注文した。やはり夜着いた時に泊まるところが確保されているというのは良いねェ。こりゃ楽だ。
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シャワーを浴びて着ていたものを洗濯する。出来るときにしておかないと。今ルームサービスが来た。Murg Chaatは、茹でて細くほぐした鳥肉にピーマン、玉ねぎ、トマト、それにコリアンダーの葉を細かく切って混ぜ、サッパリ味に和えたもの。コリアンダーの香りが強く、少しタイ風でうまい。フォークが無いが、またルームサービスを呼ぶのも面倒で、緊急用にと思ってCXの機内からコッソリ持ってきたフォークとスプーンを使って食す。こんなすぐに使うとは思わなかったが、正しい判断だった。
 
インドでこのクラスのホテルに泊まるのは初めてだけど、良いですな。尤も、日本円に換算するとシングル一泊で2万円位だから、快適なのは当たり前か。インドのまともなホテルはTaj Mahal(タージ・マハール。インド最高の国際的なホテル。いまは“タージ・ホテル・グループ”になってインド各所にあるが、そもそもはムンバイの“タージ旧館”のこと。インド最大の財閥であるTata/タータの創始者が、イギリス人に馬鹿にされて怒って、ムキになってパリに行ってエッフェル塔の鉄柱を買って、それで建てた歴史的ホテル。デリーでもムンバイでも、当時の僕の最後の全財産を投入して泊まってしまった。尤も、ムンバイでは新館のInter-Continentalにされてしまったが。)しか知らないから、それと比べて“たいした事ないホテル”と思ってしまうが、あっちが良すぎるだけの話で、このホテルも“高級ホテル”だ。でも、タージを念頭に置いてしまうと、ここはボロかもしれないな。と言いながら、こんな所に泊まると、やはりビール(インドの貧乏旅行者にとってはかなりの贅沢品だ。)を飲んでしまう。
Murg Chaatは美味かったが、生野菜が入っているので念の為梅干しを食う。
 
8月23日(Sun.)
11:40  Santa Cruz(サンタ・クルーズ) Domestic Airport
今朝は7時過ぎに目が覚めた。外を見て驚いたのは、すぐ目の前が海だった。アラビア海。夕べはすぐ前に屋台がたくさん明かりを点けていたが、その奥は真っ暗で何も見えなかった。人も結構歩いている。
まずは昨晩洗濯した生乾きの衣類を、備え付けのドライヤーで無理やり乾かす。強力だがうるさい。それから着替えて、CXとIC(インディアン・エアラインズ)のリコンファームをしようとするが、電話をしても休日のため、テープ・メッセージが流れている。仕方なく、今日のムンバイ~Trv.の便の予約と出発時間の確認だけ、フロントに頼む。どこに電話したのか、10分くらいで折り返し返事があり、OKとのこと。本当か?疑わしい。
 
9時過ぎに下に降りてTravel Deskへ行くが、10時に開くということで誰もいない。仕方なくフロントで幾つか確かめる。判ったのは、①電車の時刻表は後程Travel Deskで確認してほしい、②Kahr Road(カール・ロード)はここから近い、③Kerala(ケララ)のBackwater Tourは、この時期雨季につき運行していない、などの極めて初歩的な内容。ついでに、最後にムンバイに戻ってきたときの宿泊予約もしてしまった。贅沢だし、泊まるかどうか判らないけど、保険をかけるつもりで。特に、Kahr Roadに近い、というのが大きい。ここは世界で唯一、共通メニューを変えさせたマクドナルドがある所。高級住宅地と高級商店街の地域らしいが、他に用はないので、このホテルに来る途中にでも寄れるかな、と思って。マハラジャ・マックという、羊肉のハンバーガーを食べてみたい。宿代は代理店を通すと$5-位安くなるようだけど、構わない。6,000Rs.+charge,tax。
そのままフロントにポーチを預けて外に出る。
3dd4a030.jpegca18330b.jpeg雨季でオフシーズンなのに、ビーチには店も人も多く、驚いた。遊具もたくさんある。手動式の観覧車やメリーゴーランド。馬や馬車が水際を走り回っている。沖では小舟で漁をしている。何が獲れるのか。たくさん屋台が集まっているうちの一軒の店の裏(海側)で、男の子が石の大きなグラインダーを使って何かの下拵えをしている。緑色のペーストをすっているが、ほうれん草か緑豆か。聞いても英語が解らないらしく、指で差し示すと“マサラ、マサラ”と言っている。“それは解ってるよ、何のマサラなんだよ?”と聞いているが、通じずに“マサラ、マサラ”と繰り返す。あきらめて屋台の表側に廻ると、この店はチャナ豆マサラのようなものを七輪にかけた浅い鍋に盛ってあり、手前半分くらいを崩してある。横には筒を輪切りにしたような芋まんじゅうのようなものが皿に載せてある。“ペティトペティス”(ポテト・パテとでもいうことか。)という食い物らしい。ひとつ食べてみる。オヤジに頼むと、まずチャナ豆の山を少しずつ崩して手前のスープの中に落とし、再度煮始めた。少ししてこれが温まったと見るや、芋まんじゅうを二つ、その中に入れる。しばらく温めてからこれを皿に取り、オニオンや様々なスパイスをかける。チリソースとオニオンの微塵切りについては一応かけるかどうか聞いてくる。両方とも沢山入れてもらう。10Rs.。うまい。ちょっとの甘みとスパイス類がちょうどいいバランス。横では別の少年がヤギと相撲を取って遊んでいた。
しばらく散歩して遊んでからホテルに戻り、チェックアウトする。ついでに昨晩、空港のThomas Cookで両替したときの500Rs.札2枚を崩してもらう。こんなところでも油断できず、最初渡されたお金は900Rs.しか無かった。まったく、インドだ。
 
サンタ・クルーズ国内空港へはAuto Rickshaw(オート・リクシャー。三輪の小型タクシーのようなもの。インドでは欠かせない足。南インドの人たちは“アウトー”と呼ぶ。)で行った。ホテルの玄関でベルボーイに呼んでもらったが、その時に大体の値段を聞いたところ、20Rs.位だと言う。しかしこの運チャン、メーター表示3.50Rs.に対して降りるときに40Rs.と吹っかけてきた。“何言ってんだ20Rs.位だろう”と言っても、メーター3.50Rs.は40Rs.と言い張る。しばらく頑張ってから、こっちが怒り始めると今度はメーターの末尾の“0”を隠して35Rs.と来た。いい加減にしろ、それじゃあTariff(インドのタクシーはどこでもメーター通りだが、ムンバイだけは違って、メーターの数字をTariffという料金表で換算する。知らないとこれを出さなかったり、古いのを出したりする。要するに、スキを見せるとボッタくりたがる。)を見せろと言うと、トーンダウンして渋々見せ、取り上げて確認すると24.5Rs.。25Rs.払ってきた。でもこんな事で言い合いしていたら油断してて、反対側のターミナル(Santa Cruz A.P.には、ターミナルが二つある。行き先で異なる。)に来ていた。まあ、ターミナルが二つある事は流石に知らなかったから、油断でもないかもしれないが。が、無料の連絡バスがすぐに来たので、特に実害なし。
 
12:10 飛行機に乗り込む。IC167、トリヴァンドラム行き。当初の出発予定は10:40だったけど、こっちに来る直前に変更になって、12:15発。国内線はかなりボロで、搭乗券もぺらぺらで、それを入り口のタラップの下でもぎっているから入り口が混雑している。整然と並ぶなんていうことはしない人たちだし。機内に入っても急きは指定されておらず、好きなところに勝手に座る。乗客は95%がインド人。4.99%が白人。アジア人は僕一人。
ムンバイは商業都市というだけあって、デリーとかと比べても全般にかなり合理的だと思う。たかりが集まってくることが少ないし、来た奴もしつこくない。こちらがきちんとしていれば無意味に嫌な目に会うことが少ない。ここまで、まだ小銭を持っていないこともあるが、“バクシーシ”を一回もやっていない。そういえばホテルのチップも出し損ねた。しまった。帰りは大目にあげないと。
今、“Jumpin’”という紙パックのライチ・ジュースと飴が配られた。前のほうの席には、パイナップル・ジュースを配っている。あっちのほうが良いな。
 
13:36 あと、30分位か。
c14b8df4.jpeg13時過ぎに昼飯が出た。Veg.を頼んだが、localでうまい。流石にこっちではVeg.はハズレが無い。サラダは生野菜をスライスしてあるだけで、味は何も無し。でも塩と胡椒で少し味をつけるとこれまた美味い。コーヒーは最初からミルクが入ってくる。砂糖は自分で入れる。
今のところ非常に快調で、このペースでいけば、帰りにまたRAMADAに泊まる必要はなさそうだ。Kahr Rd.に近いからというのもRAMADAの魅力であったが、RAMADAの中の本屋で買ったLonely PlanetもどきのMunbaiガイドブックにあった近郊路線図で場所が判ったから、リュック背負ったままでも行けるし。でもやはり$140の宿泊費は高すぎる。このような旅人には。
そういえば、チップで思い出した。さっきチェックアウトした時にカードで支払って、サインする際に金額も記入したのだが、ホテルの人が二個所に数字を書けという。見ると、宿泊費を書く欄ともう一つの欄があって、最後に合計額を書くある欄がある。紙をよく見ずに、何だそりゃと聞いたら“同じ数字で構わない”。で、宿泊費だけ確かめて記入して、その数字をそのまま合計額にも書いてきたのだが、今になってレシートをよく見てみたら、かの段にはチップの額を書いて、下の段に宿泊費との合計額を書くようになっていた。ホテルで夕べルームサービスを頼んだ時も、部屋を出てくる時のベッドメイク用にも、空港で両替したままだったから小銭が全く無くてチップを置いてこれなかった。ちょうどいいチャンスだったのに悪いことをした、と更に後悔した。
 
(夜、ホテルの部屋で)
Trivandrumの空港に着いたのが1430少し前。外へ出てバス停に向かおうとしたら、A.Rickshawの運ちゃんがくっついて来る。街まで行くのに、最初70Rs.と言ってたがほっといたらどんどん下げてきて、50Rs.と言い出した。事前に調べておいたところでは2年前の相場が50~60Rs.だったから、怪しみながら疑りながら、確かめながらもOKした。で、こいつの車に行ったところ、案の定、先に人が乗っていて、要するに二人で100Rs.近くで行くということ。まあ、いいか、ということでそのまま二人を乗せて動き出したが、走りながら、この先客と運ちゃんが喧嘩を始めた。何事かと思っていたら、急に止まってこの先客が降りてしまった。運ちゃんに聞いたら、やはり料金のトラブルらしい。運ちゃん、やはり客が一人になって50Rs.じゃ足らないようで、また空港に戻って客を探し始めた。少しは我慢して待っていたが、もうさっきの便で着いた人たちは皆どこかへ行ってしまって、空港の周りには客らしい人は見えない。待ちきれなくなって運ちゃんに、“いい加減にしないと降りるぞ。俺は急ぐからバスで行く。”と脅かして、どうにか発車させたが、今度はバス停に行って客探しを始めた。これも怒ったところ、困った顔して“50Rs.じゃ街まで行けない。100Rs.払え。”という。“No !”“80Rs.”“No !!”“70Rs.”“No !!!!!”“60Rs.”。きりがないので“I get off !!!!!!!!!”と言って降りようとしたら、慌てて50Rs.で行くと言ったが、やはり最後はバス停に寄って、インド人を3人も集めて乗せやがった。窮屈だったがあきらめ、とにかく急がせる。(本当は全然急いでなかったが。)結局2人は駅の手前で降りて、残りの一人は僕が降りた後もどこかに乗っていったが、先に降りた二人が10Rs.ずつ払っていたから、合計で4人で80Rs.が今回の彼の売り上げということでした。
 
Trivandrum Central Stationへ行き、汽車の切符を探す。しかし窓口に行ってインドの駅には極めて珍しい若くて可愛いお姉ちゃん(しかし例に漏れず、かなりキツイ)に予約のことを聞いたところ、今日は日曜日につきReservation関係は全て休み、とのこと。しかたなく時刻表を買って、明日また出直すことにした。時刻表は、各地区の詳しいものと、Trains at a Glanceという全国の急行を網羅したものとがあるが、Trains~は7月に改正された新しいVersionがまだ届いていない、というので仕方なくSouthern Railway’s Local Timetable/Aug.15,1998(15Rs.)を買った。これは初めて買ったが、なかなか詳しくて、読み物としても面白い。A4版で少し大きいが、わら半紙のようなペラペラの紙を使っているため、軽い。
そのままManjalikulum Rd. (マンジャリクーラム通り)の安宿街へ向かう。夕べのホテルが非常に良かったから、今晩は安い部屋に泊まって体を慣らさないと。最初、Lonely Planetで誉められているような綺麗そうな所を廻るが、全て満室だという。本当か?この雨季に?と思うが仕方なく、少し高そうなHotel Regencyに入って部屋を見せてもらう。ここはとても綺麗でさっぱりしているし、フロントのお姉ちゃんも感じが良い。坊や(ホテルとか飯屋によくいる。要は使用人みたいなものだけど子供で、簡単なお使いや調達なら何でも頼める。彼らは純粋にチップだけが収入、ということが多いようだ。)がA/C Roomとnon A/C Roomを案内してくれた。部屋も快適そうだが、A/Cが500Rs.。non A/Cでも250Rs.と、高い。両方ともシャワーが付いてて水はシッカリ出るが、お湯は朝だけバケツでもらえるシステム。ひとまず外に出て、他を更に探す。
少し奥に入った所にBhaskara Bhavan Tourist Paradise(バースカラ・バーヴァン・トゥーリスト・パラダイス)という“まさにそれらしい”宿を見つけて入ってみた。ここは全てnon A/Cで、3階の見晴らしの良い、ここにしては風通しも良さそうな部屋が50Rs.。汚いが、一応シャワーが付いてて、シーツも新しいのに取り替えてくれるというので、原点に返るつもりでここに決めた。
e8cd2c60.jpeg87df9ccb.jpegこういう安宿は“部屋の鍵が外からは南京錠、中からはカンヌキ”という一番信用できるタイプなので、却って安心できる。デポジット込みで100Rs.払い、チェックインして部屋に戻って荷物を降ろす。いつもこの瞬間にはとてもホッとする。文字どおり“重荷を下ろす”。ベッドに横になると、シーツは綺麗だがマットが少しじめじめしている。マットは気にならないが、枕までがじめついているのは少し鬱陶しい。仕方なくタオルを一枚、枕にかける。チョロチョロとしか出ないシャワーで汗だけ流して外に出る。リュックには鍵をかけてチェーンロックで机に縛り付け、ドアには自分で持ってきた小型の南京錠を重ねてかける。部屋の中には蚊取り線香を点けてきた。
MG Road(おそらくMahatoma Gandhi Road)という、マドラス(今はチェンナイ)で言えばアンナーサライのような、要するにメインロードをHotel Luciyaまで歩いて下る。いろいろな店がポツポツとあるが、まず、いつものショールを探す。シーツくらいの大きさでタオルくらいの厚さの、コートにもシーツにも毛布にもなる便利な逸品。初めてのインドでは、VaranasiからCalcuttaへの夜行寝台列車で窓から風がビュービュー吹き込んできたが、これにくるまっていたお陰で風邪も引かなかった。あれ以来愛用品となり、2回目のムンバイ(当時はボンベイか。)~マドラス旅行の際にも買ったが、一回目に調達したもの程は気に入ったのが無かった。何件か覗いているうちにやっと気に入った一枚を見つけた。緑と赤の渋い色調で、日本に帰ってからも使えそうだ。195Rs.。ここのテントもそうだが、街の所々に看板やら垂れ幕があり、“Onal Festival”などと書いてある。このときは判らなかったが、あとでPrasado(プラサド。Cochinで仲良くなったダンサー。詳しくは後述。)に聞いた所、Keralaの昔の英雄で“Onal何とか”という人がいて、この人を称えるお祭りをこの時期にKerala中でやっているそうだ。
しばらく歩いていると、道路から左に少し入った広場の大きなテントの中で、布類を中心としてたくさんの生活用品を売っていた。ここも覗いて、結局パジャーマーとクルターを180Rs.、土産のネックレスを120Rs.で買う。さっきの店も、ここの屋台も、久しぶりにインドで買い物をしたが、お金の払い方は相変わらず。品物を選んでから別な人の所に行って、そこでお金を払ってから先の人の所に戻って品物を受け取る。これがもっと大きな店になると、品物を受け取る所が更に離れたフロアとかにあって、慣れないと非常に不安になる。
Sri Padmanabhaswamy Temple(スリ・パドマナバースワミー寺院)の前を通って宿に戻る途中で夕飯をとる。Hotel City Towerというホテルの建物の下にあるVeg. Rest.に入る。ここで失敗してしまった。注文を取りに来た坊やにVeg. Biriyani(ヴェジタブル・ビリヤーニ。野菜ピラフみたいなもの。)を頼んだとところ、本当は昼しかやってないけど作ってくれるという。それならもう一つおかずになりそうなものも頼もうと思って、メニューを見てGhee Masara(ギー・マサラ。ギーは山羊の乳から作ったバター、マサラとは通常、スパイスを混ぜたもの、若しくはスパイスで肉や野菜等を炒めたものをいうのだが…。)を頼んだ。このときに坊やが変な顔をしたのだが、気にしなかった。これがいけなかった。
c0b44570.jpegBiriyaniを食っている所にやってきたのは、巨大なクレープの中にMasara、要するに芋とか豆とかの野菜をスパイスで炒めたものが包んであって、更にその周りに小さな器に入ったダヒー(ヨーグルト)やらダール(豆のスープ)やらが並んでいる。これはこれで立派な一人前の料理だと気付いた時は既に遅く、結局両方とも食べきれずに残してしまった。最初にもらった7upが9Rs.、V.B.12Rs.、G.M.15Rs.最後に飲んだコーヒーが2.5Rs.で合計38.5Rs.。チップを小銭で3.5Rs.置いてきた。ここで食べている途中、急にエンジンのような大きな音がして、何かと思ったら発電機。南インドは停電が多いとは聞いていたが、いきなりのお目見え。ここの建物はたまたま自家発電機があったから良かったが、帰りは当然真っ暗。飯屋を出るときに15Rs.の水のボトルを買って外に出ると、MG Rd.も一部で電気が点いているだけで殆どの電気が消えている。この辺はまだ車も通るし幾らか明かりもあるからマシだったが、宿の前の露地に入ると本当に真っ暗。途中で雨も降ってくるし、どうにかこうにか宿に辿り着いて蝋燭の明かりの軟らかなフロントの前を通って自分の部屋の戻る。手探りで南京錠を二つ、やっとのことで開けて部屋に入り、リュックの鍵もどうにか開けて懐中電灯を探して四苦八苦していると電気が点いた。こんなすぐ点くなら、じっとしていれば良かった。
このボロ宿、水の出がさっきより悪い。シャワーを浴びようにもポタポタしたたる程度。体はどうにか洗ったが髪の毛を洗うのはあきらめた。こっちにまだ体が馴染んでいないから、風邪を引くのが恐い。この天気の様子ではBackwater Tourはやはり駄目だ。明日の朝Cochin(コーチン)に直接行こう。それなら早朝に出発した方がいいので、今日はもう寝ないと。時刻表で調べた所、Cochinまでは約5時間、一番早い列車は05:00発。でもこれは早すぎるので、後を見ると、
06:00Triv.発・10:50 Cochin着   №6349,Trivandrum Mangalore Parasuram Express
(トゥリヴァンドラム・マンガロール・パーラースーラム急行)
09:20発・14:35着         №6525,Kanniyakumari Mangalore Exp.(カンニャークマリ・マンガロール急行)  。
11:00発・15:30着         №2625,Trivandrum New Delhi Karala Exp.(トゥリヴァンドラム・ニューデリー・ケララ急行)  。
この3本のどれかに乗ることになるが、№2625だと到着が遅く、宿を探すのに空き部屋がなくなるかもしれない。で、一応目覚ましをかけて№6349を狙い、起きた時の体調で場合によっては№6525に変更することにする。できれば午前中にCochinに着いて、余裕を持って部屋を探したい。
ムンバイでも朝は晴れていたが午後は雨だし、こっちに来ても雨。今回はとても“雨期らしい”雨期だ。香港でもそうだったし。
外を歩いていたら、あちこちの家の壁にStick No Billsと書いてあり、意味が良く分からず“立ちション禁止”かと思っていたが、調べてみたら“張り紙禁止”のようだ。こんなに警告するなんて、何の張り紙をされるのだろう。きりがないので、今日はもう寝る。

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